福島甲状腺検査の「正しい理解」が阻害された。元検査室長の医師が向き合う「過剰診断」の被害【上】

AI要約

福島県における甲状腺検査について、福島第一原発事故後に開始され、県民健康調査の一環として実施されている。検査結果から、過剰診断の影響により甲状腺がんが多く見つかっていることが明らかになっている。

専門家は、福島県や福島医大が過剰診断の問題を認識せず、検査のデメリットを周知していないと指摘している。検査の背景には膨大な予算や研究業績など、さまざまな思惑がからんでいる可能性がある。

甲状腺検査を手伝うために福島医大に携わった経緯や検査の意図について、関係者の証言から明らかになっている。当初は不安を払拭するための検査と考えられていたが、過剰診断の問題が浮き彫りとなっている。

福島甲状腺検査の「正しい理解」が阻害された。元検査室長の医師が向き合う「過剰診断」の被害【上】

東京電力福島第一原発事故後に始まった福島県「県民健康調査」甲状腺検査は、10月で開始から13年となる。事故当時18歳以下だった県民ら約38万人を対象に実施されており、3月末現在で338人が甲状腺がん(疑い含む)と診断され、285人が手術を受けている。

100万人に数人という割合で見つかる小児の甲状腺がんだが、福島で多く見つかっている理由は「放射線被ばくの結果ではない」というのが世界的なコンセンサスだ。「むしろ高感度の超音波検査の結果」であり、放置しても生涯にわたって何の害も出さない病気を見つけてしまう「過剰診断」の被害を生んでいると指摘する専門家も多い。しかし、福島県や検査を実施する福島県立医科大学は公式に過剰診断の被害を認めていない。認めていないだけでなく、検査のデメリットを十分周知せず、過剰診断という4文字でさえ公にしていない。予算、研究業績、名誉……。約1000億円という莫大な予算が配分されて始まった県民健康調査の裏には、どのような思惑が渦巻いているのか。ハフポスト日本版は、福島医大の医師として開始当初から検査に携わってきた宮城学院女子大学・緑川早苗教授にインタビューした。「子どもの善意を犠牲にした倫理的に問題のある検査を変える」と話す真意について、3回に分けて報じる。【相本啓太 / ハフポスト日本版】

◇緑川早苗さんプロフィール◇

1993年福島県立医大卒業。2011年に始まった福島の甲状腺検査に当初から携わり、15~18年に甲状腺検査室長。20年3月に福島医大を退職し、同年4月から宮城学院女子大学教授。専門は内分泌代謝学。共著に「みちしるべ 福島県『甲状腺検査』の疑問と不安に応えるために」「福島の甲状腺検査と過剰診断ー子どもたちのために何ができるかー」。甲状腺検査に悩む人の相談を受ける任意団体「POFF」を設立し、共同代表を務めている。

ーー東日本大震災と東京電力福島第一原発事故後、緑川先生はどのような経緯で福島の甲状腺検査に関わることになったのでしょうか。

震災当日は東京・秋葉原で行われていた間脳下垂体腫瘍学会に参加していました。レンタカーをなんとか借り、数人で翌日の夜に福島に戻ったのですが、その車中で「原発が爆発したらしい」と聞きました。福島に到着すると、震災と原発事故の影響で街が大混乱していました。当初は学校や学童もなくなったので、当時小学3年生だった子どもをあちこちに預けながら福島医大で仕事を続けました。

とにかく皆が不安を抱えており、洗濯物は外で干していいのか、チョルノービリ原発事故のように小児の甲状腺がんは増えるのか、子どもは福島にいても大丈夫なのかなどと、至る所で聞かれました。3月中には「健康被害が出るほど被ばくはしていない」「子どもは県外に避難させなくていい」と分かり、医師としては気持ちが落ち着いてきました。「秋から甲状腺検査を始めるため手伝ってほしい」と福島医大から言われたのは6月頃。それが私と甲状腺検査の関わりの始まりです。

ーー当初は甲状腺検査をやるべきだと考えていたのでしょうか。

原発事故直後、福島の人たちは甲状腺がんのことを大変心配していました。避難指示が出ていなくても避難すべきだと言う人もとても多かった。甲状腺検査が始まったきっかけも、チョルノービリ原発事故で小児の甲状腺がんが増えたことから県民の間で不安が広がっていたことが背景にあります。

そんな不安を抱える人たちが甲状腺検査を受けて大丈夫だとわかったら「安心して落ち着くかもしれない」と思っていました。今考えると愚かでしたね。内分泌を専門とする福島の内科医が検査を手伝わないのはありえないという感覚もありました。私だけでなく、県内の一般臨床医や福島医大の職員の多くは同じ思いだったと思います。

ただ、2011年10月に検査が始まると、甲状腺がんが見つかり始めた。あの頃はこんな状況が生まれることを見通せておらず、検査を受けたらかえって心配になることもわかっていなかった。スティグマが生まれることすら想像していませんでした。