犠牲の妻子へ捧げる秋の実り 輪島の千枚田ボランティア「元の姿」目指し奮闘

AI要約

石川県輪島市の白米千枚田を守る活動をしてきた出口彌祐さんが能登半島地震で家族を失い、千枚田も被害を受けたが、農作業に励むことで悲しみを忘れようとする姿が描かれている。

元日の地震で家族を失った出口さんは妻と息子を見送り、地震の影響で千枚田も被害を受けるが、愛耕会のメンバーが助け合い、なんとか稲を育てることができた。

正子さんと博文さんの遺体が見つかった後も、出口さんは家族の思い出を大切にし、千枚田に心のよりどころを見出している。

犠牲の妻子へ捧げる秋の実り 輪島の千枚田ボランティア「元の姿」目指し奮闘

日本海に面した棚田が連なる「白米(しろよね)千枚田」(石川県輪島市)を守る活動を続けてきた「白米千枚田愛耕会」副代表の出口彌祐(やすけ)さん(77)は、能登半島地震で自宅の裏山が崩れ、妻の正子さん=当時(74)=と帰省中の長男、博文さん=同(49)=を亡くした。千枚田も大きな被害を受けたが、農作業のひと時は悲しみをいくらか忘れさせてくれた。1日で地震から8カ月。実りの秋を迎えた千枚田を前に「かつての風景を取り戻したい」と誓った。(吉田智香)

8月下旬、千枚田の一角では黄色く色づいた稲穂が風に揺れていた。約4ヘクタールの斜面に、大小1004枚の棚田が連なる。元日の地震で地表に亀裂が入り、水路が壊れるといった被害を受けたが、出口さんら愛耕会のボランティアメンバーが応急処置を施し、5月には約120枚で田植えにこぎつけることができた。

顔見ぬまま荼毘

元日の午後、出口さんは輪島市渋田町の自宅を車で出て、帰省した次男(47)を迎えに行った。2人で神社に立ち寄った際に地震が発生。帰路を急ぐ途中、さらに激しい揺れに見舞われた。

自宅へと続く国道249号は土砂にふさがれ寸断。歩いて迂回(うかい)し、やっとのことでたどり着いた自宅は、崩れた裏山の土砂に巻き込まれていた。

正月には家族4人で集まり、すき焼きや煮物を食べるのが恒例だった。自宅にいた正子さんと博文さんに呼びかけたが、返事はなかった。地震直後、自宅周辺は一時孤立して捜索も難航。出口さんは車中泊などを経て金沢市に避難。2人の遺体は地震から半月後の1月16日に見つかった。

長年、保育士として働いた正子さん。自宅の畑で花を育てるのが好きで、千枚田での活動を後押ししてくれた。就職氷河期世代の博文さんは、苦労の末に見つけた職場で仕事に打ち込んでいた。普段の表情の2人を記憶にとどめておこうと、顔を見ないまま荼毘(だび)に付した。

心のよりどころ