航空史上最悪の事故から39年、人生を変えられた遺族の思いを聞いた 520人犠牲の日航機墜落、御巣鷹「慰霊登山」に同行して

AI要約

 39年前の8月12日、日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落した場所を遺族が慰霊のため登山。事故の犠牲者数は現在も航空史上最悪で、毎年慰霊登山が行われている。

 墜落原因は機体後部圧力隔壁の修理ミスとされ、関係者20人が業務上過失致死傷容疑で書類送検されたが全員不起訴となった。現在は、登山道が整備され、犠牲者の墓標が並び、現場には慰霊のための小さな風車が回っている。

 記事は遺族の慰霊登山や事故の経緯、現場の様子を描写しており、事故から40年を迎える現在も未だ忘れられない出来事である。

航空史上最悪の事故から39年、人生を変えられた遺族の思いを聞いた 520人犠牲の日航機墜落、御巣鷹「慰霊登山」に同行して

 そこだけU字型に切り取られたような稜線が、朝から晴れ渡った青空に縁取られている。39年前の8月12日、日航ジャンボ機が墜落する直前に主翼で削り取った場所だ。

 今年の8月12日も、墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に、遺族たちが慰霊のため登山した。急斜面を一歩一歩踏みしめ、あちこちに点在する墓標に亡き人への尽きない思いを伝えた。

 日差しの中、時折休みながら歩を進めたのは、大阪府箕面市から訪れた柴田百合子さん(87)。当時21歳だった娘の滝井千合子さんを事故で失った。「娘は今もここにいると思い、毎年来ている」と語った。

 乗客乗員524人のうち520人の犠牲者数は、世界で現在も単独事故として航空史上最悪だ。毎年続く慰霊登山には、日航社長らも参加する。しかし、航空事故は繰り返されている。慰霊登山を中心に、関係者の心中を聞いた。(共同通信前橋支局)

 ▽墜落事故

 1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行き日航123便のジャンボ機・ボーイング747が、レーダーから消えた。

見つかったのは埼玉県と長野県の県境に近い、登山道もない標高約1540メートルの山中。機体はバラバラになっていた。

 後に現場は「御巣鷹の尾根」と名付けられた。

 1987年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、米ボーイング社による機体後部圧力隔壁の修理ミスがあり、日航や運輸省の担当者が見逃したのが原因と結論付けた。

 群馬県警は業務上過失致死傷容疑で関係者20人を書類送検したが、その後、全員不起訴となった。

 ▽事故現場

 現在は、急斜面に階段が続く登山道が整備されている。道沿いには木や石でできた犠牲者の墓標が並ぶ。それぞれの遺体が見つかった場所だ。酒瓶や写真、花束が置かれている。

 炎上した機体後部が崩れ落ちた場所には「スゲノ沢」が流れる。多くの犠牲者と生存者4人が見つかったこの付近では、有志らが設置した小さな風車が、カラカラと回っていた。