コロナ死者相次ぐ北イタリアの地に、引退したはずの高齢医者達が赴いた…崇高な使命感とは 国際舞台駆けた外交官 大江博(23)

AI要約

ローマに赴任した大使が、新型コロナウイルスの影響を受けた体験を振り返る。

感染リスクに直面しながらも、公邸での準備や在ローマ日本大使館の対応に尽力する日々を送る。

必要な決断を下し、危機管理に成功するために、外交官たちとの連携が不可欠であった。

コロナ死者相次ぐ北イタリアの地に、引退したはずの高齢医者達が赴いた…崇高な使命感とは 国際舞台駆けた外交官 大江博(23)

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。ピアニスト、ワイン愛好家として知られ、各国に外交官として赴任した大江博・元駐イタリア大使に異色の外交官人生を振り返ってもらった。

■「夏休み1日も取れない」

《2020年1月末、駐イタリア大使として、〝永遠の都〟ローマに赴任した。世界各国から観光客が訪れる地だ》

前任者から引き継ぎを受けた際、「イタリア大使に就任すれば、夏休みは1日も取れないですよ。夏は日本から国会議員や財界人、有識者らが毎日のように来ますから」と言われました。しかし間もなくして、新型コロナウイルスがイタリア北部を直撃、状況は一変しました。

■ゴーストタウンと化す

国内ではロックダウン(都市封鎖)が行われ、街はゴーストタウンと化し、仕事はすべてオンラインか電話。社交は一切なくなりました。北イタリアの地方紙は連日、死亡欄で溢れ、死者数は正確に把握できないありさまでした。

イタリアにおけるコロナの致死率は当時、10%を超えた。65歳を過ぎると致死率は格段に高くなる。私自身、いろいろな基礎疾患を抱えており、感染した場合の致死率は30%超とのことでした。まさに〝ロシアン・ルーレット〟状態。外務省の秋葉剛男次官(現国家安全保障局長)は心配して、何度も「一時、帰国しませんか」と電話をくれました。

外務大臣室ではそのころ、コロナ感染の状況報告が毎日行われ、在ローマ日本大使館は全館体制でコロナ対応に追われました。そうした中、私だけ帰国するわけにはいかない。自分が命を落とせば、それは天命だ、と覚悟を決めました。

■公邸でカレーなど保存食を山ほど作る

《一体、どうなるか分からぬ不安が募る中、手探りの日々が続いた》

食料品店やケータリングの店は継続して開いていたとはいえ、さまざまな事態を想定し、公邸のシェフにカレーなどの保存食を山ほど作ってもらいました。万一の場合、感染した館員や、隔離が難しい在留邦人のために、官用車でケータリングすることも検討。大使館にベッドを搬入したり、いざとなったら、公邸の客室を隔離室として利用できるよう準備もしました。

イタリア北部ミラノは邦人数が多く、感染状況がローマより厳しいにもかかわらず、ミラノ総領事館の体制は弱かった。このため秋葉次官にお願いし、パリの経済協力開発機構(OECD)代表部から藤井太郎参事官に長期出張してもらい、陣頭指揮をとってもらいました。彼の存在なしにこのオペレーションを遂行するのは不可能でした。彼とは頻繁に電話でやり取りをし、すべきことを矢継ぎ早に決断。彼には「必要だと思うことは何でもやってくれ、後で何かあったら、私がどうにかする」と伝えました。秋葉次官には「好きにやらせてもらう」と宣言。すると「大江さんがやるべきと思ったことは何でもやって下さい。後で何かあれば、私がどうにかします」と励ましてくれました。