79年前の8月14日、「あなたは、どこで……」“玉音放送”を聴いていた人々暮らしを取材

AI要約

玉音放送を取り巻く様々な人々の体験や反応を通じて、戦争時代のリアルな日常が浮かび上がる。

和久井香菜子さんが戦争体験者の聞き取りを通じて、玉音放送を聴いた当時の人々の感情や思いを掘り下げていく。

編集者と共に普通の人々の戦争体験を出版するための準備が進められている。

79年前の8月14日、「あなたは、どこで……」“玉音放送”を聴いていた人々暮らしを取材

いまから79年前の8月14日、日本の運命を左右するラジオ番組が収録されました。昭和天皇がマイクの前に立ち、初めて自ら肉声を届けた「玉音放送」。来年で100年を迎える日本のラジオの歴史においても、とても大きな出来事です。「玉音放送」を、当時の人たちはみんな、どこで聴いていたのかを取材した、ライターの方がいらっしゃいます。

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

埼玉・所沢ご出身のライター、和久井香菜子さん。学生時代の研究から少女漫画のエキスパートとして知られる一方で、テニスや障害者事情など、ジャンルを超えて幅広く取材されていらっしゃいます。

そんな和久井さんがライフワークの一つとされているのが、戦争体験の聞き取りです。

和久井さんは、小さい頃、漫画家・里中満智子さんの作品、「あすなろ坂」に出逢ったことで、戦争の時代を生きた人たちに興味を憶えます。やがて社会人として、特攻隊の体験者に話を聴く機会に恵まれたことで、その思いは、さらに強くなりました。

『学校で習った戦争は、空襲で爆弾を落とされたり、食糧難で食べるのに苦労をしたり、

みんな受け身の体験ばかりだった。でも、戦争の時代に生きていた1人1人にも、きっと、その人なりの意思や考えがあったのではないか?』

こう考えた和久井さんは、年配の方を取材する機会に恵まれる度に、その人の戦争体験を訊き出していくことにします。そして、こんな共通の質問も設けました。

『あなたは、どこで玉音放送を聴いていましたか?』

和久井さんに、この質問を設けた理由を聞いてみると、こう話してくれました。

「聴取率がほぼ100%だったとも云われるラジオ番組を、みんなどうやって聴いていたのか、とても興味があったんです」

和久井さんの「玉音放送」を軸に据えた、取材が本格的に始まりました。

「玉音放送」というと、昭和天皇のお声を、昔の大きなラジオの前に集まって聞いて、放送のあとは、パッと平和で明るい日々になったと思われる方が多いと思います。しかし、和久井さんは、そのイメージが全てではないといいます。

当然、そこには、1人1人違う、「日常」の暮らしがありました。

例えば、広島・江田島の海軍兵学校で8月15日を迎えた男性は、ノイズがひどく、冒頭の「朕」という言葉しか聞き取ることが出来ませんでした。このため、「陛下が我々を激励して下さったのだろう」と思った人も少なからずいて、先生方から敗戦を告げられるまでは、全く分からなかったといいます。

一方、東京・巣鴨の質屋で座って玉音放送を聴いたという女学校の生徒は、「ああ、やっと空襲がなくなる、よかったな」と、心からホッとしました。そして次に思ったのは、学徒勤労動員された川崎の工場で風船爆弾を作りながら出逢い、8月10日に出征したばかりの「彼」のこと……焼け野原にも「恋」はあったようです。

もう一つ、忘れてはならないのが玉音放送は、いまの日本領土、「内地」だけでなく、樺太や満州といった「外地」でも放送されていたということです。しかも、これらの地域では、玉音放送と共に平和な時間が終わり、戦争が始まります。旧ソ連による攻撃だけでなく、中国や朝鮮の人たちの日本人への反発も強まりました。

和久井さんは、玉音放送にまつわる聴き取りを続けるうちに、「いつか、形にできたらいいな」と思うようになっていきました。企画を聞いた編集者の方も、営業を買って出てくれます。

しかし、なかなか2人の思いを理解してくれる出版社に出会いません。すると、編集者の方がこう、申し出てくれました。

「普通の人の戦争体験だからこそ、本にする価値があります。大手がやらないのなら、私が出版社を作りましょう!」