「最前線の兵隊」だけが手に取ることができた、陸軍発行の”幻の雑誌”…『陣中倶楽部』に込められた「悲しき将兵のホンネ」

AI要約

講談社の資料センターに収蔵されている幻の雑誌『陣中倶楽部』について、その起源や内容、恤兵部の活動について紹介されています。

『陣中倶楽部』は、日露戦争時に恤兵部から発行された雑誌であり、そこでは恤兵の取り組みや戦地の兵士への慰問について紹介されている。

恤兵部の役割や活動を通じて、戦時中の国民の支援活動や戦地の兵士への思いが明らかにされている。

「最前線の兵隊」だけが手に取ることができた、陸軍発行の”幻の雑誌”…『陣中倶楽部』に込められた「悲しき将兵のホンネ」

1909(明治42)年に創業した講談社の資料センターには、創業以来の出版物が所蔵され、社員をはじめとする利用者が調査・閲覧できるようになっています。

その一角に、「禁帯出」のラベルが貼られ、古色蒼然とした「合本(がっぽん)」が眠っています。読み捨てが基本である雑誌は、そのままにすると痛んで保存が難しくなってしまうため、数冊をまとめて製本します。

それを合本と呼ぶのですが、排架されたこの合本の背には、ようやく読める程度にまで退色してしまった雑誌名が印字されています。

それが、近現代史研究者の間で“幻の雑誌”とも呼ばれる『陣中倶楽部』です。

『陣中倶楽部』は、講談社が独自に発行したものではありません。創刊号表紙に大書されているとおり、発行元は「陸軍恤兵(じゅっぺい)部」でした。

恤兵とは、戦時に軍隊や軍人に対して金銭あるいは品物を贈って慰問することを指す言葉です。「恤」には憂いあわれむ、めぐむという意味があり、日露戦争の際、極寒の満州の地で戦う兵士にむけて送られた防寒着「恤兵真綿」で、その言葉が広く知られるようになりました。

街中で行われていた「国防献金」は、主に飛行機、戦車、爆弾などの費用となるのに対して、「恤兵金」は出征兵士や傷病兵・遺族への慰問に使われるのです。恤兵金を出す国民側の心情は、現在の災害義援金寄附などに近かったと思われます。

寄贈軍需品・慰問品や献金を事務・管理する「恤兵部」は、当初日本軍の中では時限的な部署であったのですが、満州事変(昭和6年)以降、常設となりました。前線の兵士への慰問袋作成や恤兵金の受け入れをするだけでなく、高額恤兵金を納めた者を陸軍賞勲局が表彰したり、女優や落語家などからなる慰問団を組織したりとその存在は次第に大きくなっていきます。

恤兵部は、国防婦人会や愛国婦人会など「銃後の守り」を指揮した団体とも結びつき、国民の「戦地の兵隊さんを支えなければ」という気持ちを醸成する役割を担いもしました。