熊本市電撮り続け…亡き妻との“共作”、命日に出版した80歳写真家「やっとできたよ」

AI要約

熊本市電が1日に開業100周年を迎えたことを記念して、元市職員の武藤暉彦さんが自費出版した写真集。市電の歴史や変遷、妻との思い出が綴られている。

市電は熊本市の足として古くから市民に愛され、現在も運行されている。写真集には街並みや四季も一緒に切り取られた風景が収められている。

武藤さんと妻の共同作業で作り上げられた写真集は、全国で初めて冷房車や超低床電車を導入した熊本市電の歴史を今に伝えている。

熊本市電撮り続け…亡き妻との“共作”、命日に出版した80歳写真家「やっとできたよ」

 熊本市電が1日に開業100周年を迎えたことを記念して、電車や街並みの写真を撮り続けてきた元市職員の武藤暉彦さん(80)=同市中央区=が写真集「熊本市電 走り続けて百年」(熊日出版)を自費出版した。昭和から令和へと変わりゆく風景をまとめた一冊は、亡き妻との“共作”でもある。

 市などによると、市電は1924(大正13)年8月1日にJR熊本駅-浄行寺町、水道町-水前寺で運行を始めた。運賃1区3銭で市民の足となり、路線を次々に拡大していく。45年7月に熊本大空襲、53年6月には白川大水害で甚大な被害を受けたが、そのたびに復旧を果たした。

 ピーク時の63年に路線が7系統まで拡大し、同年度の乗客数は4200万人超に。しかし自家用車の普及を背景に、65年以降に川尻線(河原町-川尻町の7・5キロ)などが廃止。78年度までに全線を廃止することが決まった。その後、市民の強い要望で現在の2系統が存続された。

 武藤さんは69年に市職員となり、広報課などで勤務した。廃止論を目の当たりにして「なくなる前に残しとかないかん」とカメラを向けるようになった。こだわったのは、車両だけではなく街並みや四季も一緒に切り取ることだという。

 平成に入った頃、100周年に合わせた写真集出版を意識し始めたが、仕事が多忙な時期でもあり、妻の恵子さんに市電の歴史年表作りを手伝ってもらった。ところが、恵子さんは還暦を前に病に倒れてしまう。武藤さんにとって写真は、喪失の悲しみを和らげる一助にもなった。

 写真集には、撮りためた約3千枚の中から72~2023年の95点を収めた。妻の命日に合わせて発行日は1月23日に。「やっと出版できたよ」。仏壇に1冊を供えて手を合わせた。

 市電はいま新たな転換期にある。経営改善に向けて来春から運行管理を市出資法人に託す「上下分離方式」を導入するが、運転士不足などの解消は遠い。今年は信号見落としをはじめトラブルも頻発している。

 だが歴史を振り返れば、市電は全国で初めて冷房車(1978年)や超低床電車(97年)を導入した先駆者でもある。武藤さんは「これからも市民の足として、さらに発展してほしい」と期待している。

 写真集は112ページ、1320円。県内の主な書店などで購入できる。熊日出版=096(361)3274。 (山田育代)