「土下座して謝れ」と怒鳴る人は"お客"ではない…悪質クレーマーを一瞬で黙らす「店員のひとこと」

AI要約

坂本龍馬が貿易会社「海援隊」の船と衝突事故を起こし、賠償金交渉に国際法を持ち出す奇策を取る。

龍馬は知られざる国際法「萬国公法」を用いて紀州藩と交渉し、危機を乗り越える。

交渉相手が有利な状況でも、知恵と戦略で問題を解決する姿勢を示す。

自転車を無断駐輪する人vsお店、傘の持ち主vs傘泥棒、クレーマーvs従業員……こうした大人同士の喧嘩に勝つにはどうすればいいか。作家・西沢泰生さんの著書『一流は何を考えているのか』(Gakken)より、クイズ形式で紹介する――。

■坂本龍馬から学ぶ「ズルイ解決策」

 坂本龍馬がつくった日本初の貿易会社「海援隊」。その持ち船である「いろは丸」は、1867年(慶応3年)4月23日に紀州藩の軍船「明光丸」と衝突事故を起こします。

 幸い、龍馬を含む海援隊員は明光丸に乗り移り無事でしたが、いろは丸は沈没してしまい、海援隊は存続の危機に陥ります。

----------

問題

このとき、事故の補償の交渉を有利に進めるために、龍馬はどんな手を使ったでしょう?

答え

紀州藩の人間が知らない国際法「萬国公法」を持ち出して交渉した。

----------

 このとき龍馬たちが使っていた「いろは丸」は、実は大洲(おおず)藩(現在の愛媛県にあった藩)から有料で借りていた船でした。

 積み荷だけでなく、借り物の船まで沈んでしまい、紀州藩から賠償金をもらわなければ海援隊はおしまいという切羽詰まった状況だったのです。

■分が悪い交渉、しかも相手は徳川御三家

 しかも、この衝突事故。どちらかといえば、非があるのは、いろは丸のほうでした。

 当時の国際法では、船同士がぶつかる危険が生じたときは、お互いに右に舵を切るのが決まりでしたが、いろは丸は左に舵を切っていたのです。

 どう考えても不利な状況。しかも、交渉の相手は徳川御三家の1つである紀州藩です。下手をすると、賠償金をもらえないどころか、賠償金を取られかねません。

 この危機を乗り切ったのが、龍馬の奇策でした。

 龍馬は、まだ日本に入ってきたばかりで、知る人も少なかった国際法「萬国公法」を持ち出して、交渉にあたったのです。自分たちはよく知っているが、相手はまったくわかっていない国際法という、言わば紀州藩のアキレス腱をつく作戦。

 面食らったのは紀州藩です。