坂本冬美の『モゴモゴ交友録』国広富之さん(71)ーー初座長公演の相手役に、ウブだったわたしは心臓バクバク、ドキドキ

AI要約

坂本冬美は1987年に『あばれ太鼓』でデビューし、数々の新人賞を受賞。翌年の1988年には『祝い酒』で金賞を受賞し、『第39回NHK紅白歌合戦』に初出場するなど、成功を収める。

デビュー5年目には大阪・新歌舞伎座で最年少座長公演を行う。舞台は45回公演で連日満員となり、未熟ながら努力を惜しまない姿勢が評価される。

現在も本物の座長になりきれていない坂本冬美は、いつも憧れていた島倉千代子のような存在を目指して日々努力を重ねている。

坂本冬美の『モゴモゴ交友録』国広富之さん(71)ーー初座長公演の相手役に、ウブだったわたしは心臓バクバク、ドキドキ

「坂本冬美」でキーワード検索をすると……1987年に『あばれ太鼓』でデビュー。この年「第29回日本レコード大賞」をはじめ、数多くの新人賞を受賞。翌1988年『祝い酒』で「第30回日本レコード大賞」金賞を受賞。『第39回NHK紅白歌合戦』に初出場……といった言葉が並んでいます。

 文字だけで見ると、最高のスタート。順風満帆そのものです。

 でも当の本人は、それどころじゃありませんでした。見るもの聞くもの、初めてのことばかり。言われるがままにスケジュールをこなして、家に帰ったらバタンキューです。ゆっくり何かを考える時間なんかないし、遊びたいとか、休みたいとか、思う余裕もありませんでした。

 そんなわたしが、なんとか頑張れたのは「とにかく一番だ!」という社長の号令一下、優秀なスタッフが支えてくれたおかげです。お世辞じゃありません。本当です(笑)。

 そして迎えたデビュー5年め。 “一番が大好き” というウチの社長が目をつけたのが、錚々(そうそう)たる先輩方がその舞台を彩った、大阪・新歌舞伎座での女性歌手による最年少座長公演です。

 公演は12月1日から約1カ月で45回。この年の初め、「勉強して来い!」という社長の鶴のひと声で、五木ひろし先輩の座長公演に出させていただいたので……少なくとも、その1年前には裏でガサゴソ、怪しい動きをしていたのだと思います(笑)。

 舞台は2部構成で、1部がお芝居、2部が歌謡ステージ。歌は大丈夫、なんとかなるというか、なんとかする。でも、お芝居は……。

 わたし以上に、社長は心配だったのでしょう。へっぽこ座長の力不足を補ってあまりある最高のスタッフ、キャストを揃えてくださいました。

 お芝居は、山本周五郎先生原作の『ちいさこべ』から書き下ろしてくださった『花いちもんめ』。演出は、関西にこの人ありといわれたミヤコ蝶々先生。お父さん役には、名人中の名人と謳われた、落語家の古今亭志ん朝師匠。そしてそして、相手役はうっとりするような超イケメン、国広富之さんです。

 いつも穏やかで、包み込んでくださるような優しい笑顔で、八重歯を覗かせながらにっこりと微笑まれると、もういけません。

 役の衣装を纏っていますが、心は素の坂本冬美です。国広さんが近づいてくるだけで「きゃ~! やだやだ、どうしよう!」と心臓はバクバク。手を握るシーンでは、心臓の音が聞こえちゃうくらいの距離ですし、見つめ合うシーンでは、ドキドキでお芝居どころじゃありませんでした。

 う~~~~ん。あのころはわたしもウブだったなぁ(笑)。

 座長とは名ばかり。ただただ、必死に食らいついていくのに精いっぱいのわたしを盛り立ててくださった皆さんのおかげで、約1カ月45公演は、連日連夜の超満員。通路には補助席が並び、立ち見のお客様もいらっしゃいました。

「3階席のお客様が溢れてくるようだった」

 志ん朝師匠が目を丸くしながらおっしゃっていたように、幕が開いた瞬間、熱気がうおぉぉぉぉぉーっと襲いかかってくるような感じで。貴重な経験をさせていただきました。

 あれから三十数年。最近になって、ようやくお芝居がおもしろくなってきましたが、未だ誰もが認める本物の座長にはなりきれていません。

 その昔、島倉千代子さんの舞台を観に行かせていただいたとき、スタッフの皆さんが、島倉さんを “看板” と呼んでいるのを間近で聞いて、 “お~~~~っ、カッコいい!” と思うと同時に、 “いつか、わたしもーー” と思いましたが、その域に達するにはまだ時間がかかりそうです(苦笑)。

さかもとふゆみ

1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新シングル『ほろ酔い満月』が好評発売中!

写真・中村 功

取材&文・工藤 晋