「東大卒の天皇陛下」にこだわる必要があるのか…悠仁さまの「大学進学論争」に学習院OG抱く"強烈な違和感"

AI要約

秋篠宮家の悠仁さまが筑波大附属高3年となられ、大学の進学先に注目が集まっています。紀子さまが東大への推薦入試に熱心でらっしゃるとされ、さまざまな意見が国民の間から出ています。

紀子さまが学習院出身であることから、海外の名門大学を目指す方がよいという主張があるが、紀子さまは学習院に深いご縁があり、学内での活動も記憶に残っている。

過去の皇族の進学慣習を破ることで注目を集める悠仁さまの進路についても触れられ、雅子さまや彬子さまの教育・留学経験も挙げられている。

■相次いで報じられる「東大推薦入学」に思うこと

 秋篠宮家の悠仁さまが筑波大附属高3年となられ、大学の進学先に注目が集まっています。お母様の紀子さまが東大への推薦入試に熱心でらっしゃるとされ、さまざまな意見が国民の間から出ています。

 ですが学習院出身の私は思います。東大推薦入学を狙うより、海外の名門大学を目指されたほうがよろしいのでは、と。

 これは学習院で紀子さまの1年後輩、秋篠宮さまの2年後輩に当たり、『学習院女子と皇室』(新潮新書、2023)を書いた私から、僭越ながら紀子さまへのお手紙です。

■「国母」としての責任感

 紀子さまは学習院が「お好き」~女子中・高等科に下賜された「御歌」

 紀子さま、私は学習院女子中・高等科および大学と、あなた様の1年後輩におりました。学内では福祉活動に従事する厚生委員会に所属され、微笑みを絶やさず共同募金の呼びかけをされていたお姿を覚えています。

 学習院大学で私は、法学部政治学科に進み、同じ学科の秋篠宮さま(当時は礼宮さま)の2年後輩であり、お二人が所属していらしたサークル「自然文化研究会」のご様子も垣間見ておりました。学習院生にとって皇族方は学内でよくお見かけする身近な存在で、当時は天皇陛下(当時は浩宮さま)のお姿もよく拝見しました。

 「キャンパスの恋」を実らせて紀子さまは幸せな結婚をされ、眞子さま、佳子さまとお二人の内親王に恵まれたご一家のご様子は、報道を通じてお見かけするだけになりましたが、紀子さまはお幸せそうに見えました。

 それが変わられてきたのは、悠仁さまがお生まれになってからでしょうか。未来の天皇をお育てになる「国母」としての責任感を持たれたのでしょう。大変な重責、プレッシャーであろうとご推察申し上げます。

■「学習院に進むべき」とは思わないけれど…

 ただ私には、その重責がなぜ「東大」に結びつくのかがよく分からないのです。さまざまな国民の声を振り切って、推薦入学に邁進されているように見えますが、これは何のためなのでしょうか。

 悠仁さまが過去の皇族方の慣例を破り、学習院に進学されなかったのは、それほどおかしなことではありません。戦前の学習院は宮内省の傘下にあり、皇族の進学が義務付けられていました。

 ですが戦後は一般の私立学校となり、皇族に進学の義務はなくなりました。それでも皇族が学習院に進む慣習は残っていたわけですが、悠仁さまのこれまでの進路は、それを破った「英断」でもありました。

 もしかしたら、秋篠宮さまのお決めになったことでしたでしょうか。私は紀子さまご自身が、今も学習院を「お好き」で、大切にしていらっしゃると信じています。学習院女子中・高等科の施設内で私は、紀子さまが下賜された和歌が掲示されているのを拝見しました。

 一般の方が入れない場所ですので詳細は申し上げませんが、色紙に達筆な毛筆で書かれた、女性皇族らしい目線でお謡いになられた内容に感銘を受けました。

■学習院と雅子さまのご縁

 そして学習院大学において、実は皇后の雅子さまも深いご縁があったことはご存じでしょうか。

 1986~87年頃、私が在籍していた法学部の国際法の教授(故人)が、東大法学部在学中だった雅子さま(当時は小和田雅子さん)をお招きした学生向けの講演会があったのです。

 文学部でいらした紀子さまはご存じなかったかもしれませんが、教授が雅子さまのお父様で、外交官でいらした小和田恒氏と親しく、雅子さまをご幼少時から見てこられた、というご縁からでした。会場は国際関係の仕事を志す学生たちでいっぱいでした。

 雅子さまは当時、外務省入省が決まったばかりでした。聞けば米国の著名なアイビーリーグの大学複数に合格され、その中からハーバード大を選び、国際経済学を学ばれ、卒論が優等賞を得るほど優秀な成績でご卒業。外交官を目指すために東大3年次に編入されました。この編入試験も相当な倍率だったと伺います。

 そして外交官試験に合格。ちょうど男女雇用機会均等法が施行された時期でもあり、雅子さまは美人でバリバリのキャリアウーマン、外交官としての将来を語られるお姿には、眩しい位の存在感がありました。

 私たち学生の拙い質問に分かり易く答えて下さり「本当に優秀な女性は違うなあ」と感じたことを覚えています。

■彬子さまとオックスフォード大学「博士号」

 そして三笠宮家の彬子さまは、学習院大学文学部在学中に交換留学でオックスフォード大学に留学され、大学卒業後に再度渡英、大英博物館における日本美術の研究のために5年間を費やし、博士号を取得されました。

 その手記『赤と青のガウン』(PHP文庫)を拝読しますと、海外で日本のように護衛がつかない中、一人で生活を切り盛りし、少しずつ研究の道を切り拓かれていかれた様子がユーモア溢れる筆致で描かれ、読者をひきつけます。