「陰部の露出は100%アートです」…公然わいせつ罪で《懲役》を下した最高裁「ポルノ裁判」に元千葉大教授が異論

AI要約

一条さゆりという伝説的なストリッパーの波乱万丈な人生と、昭和の日本社会の変化について記録した『踊る菩薩』について紹介。

公判で一条さゆりのストリップを「わいせつ」と判断した日本の司法の問題点について探る。

演劇学者である橋本裕之がストリップを芸術と捉えるようになった経緯と、ストリップに対する新たな視点について紹介。

「陰部の露出は100%アートです」…公然わいせつ罪で《懲役》を下した最高裁「ポルノ裁判」に元千葉大教授が異論

1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第65回

『市民感覚が反映されない...あまりに不公平な裁判、昭和のストリッパー達が直面した理不尽すぎる日本の社会』より続く

判例によると、「わいせつ」とは、「いたずらに性欲を興奮、刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」である。

この公判を通し、日本の司法は一条の「特出し」行為を、「わいせつ」と判断した。高裁の判決はこう認定している。

〈被告人(一条)が舞台上で多数の観客を前にして短い腰巻き、あるいはベビードール一枚のみの姿となり、中腰またはしゃがむなどの姿態で股を開き、指で陰部を広げるなどしてことさらに陰部を露出する所為は、わいせつの行為に当たることは明らか〉

ストリップは「善良な性的道義」に反するのだろうか。私はストリップに詳しい者に、この点をどう考えるべきか意見を聞こうと、橋本裕之を訪ねた。

ストリップの世界を内と外から観察した演劇学者はこう語った。

「風俗と芸能で分けると、ストリップは芸です。100パーセント、アートです」

橋本は早稲田大学大学院で芸術学(演劇)を研究し、国立歴史民俗博物館で助手をしたあと千葉、盛岡両大学などで教授を務めた。今は大阪で神主をしている。

演劇を研究していた橋本がストリップに興味を持ったのは90年、29歳のときである。

山形県で舞楽を見物し、天童温泉に宿を取った。その温泉街にミカド劇場があった。歴史民俗博物館に勤めていたため、「国家公務員がこんなところに入っていいのかな」と思いながら、友人と2人で劇場に入った。ストリップを見るのは初めてである。

先客は酔っ払いの男性1人だった。しばらくすると音楽が鳴り、ソバージュの女性が登場する。若くはないがスタイルはよかった。彼女はけだるそうに身体をよじらせて踊る。

「すごいと思ったんです。身体の動きがなまめかしい。その曲線がきれいに見えたんです」

客は自分を含め3人しかいない。そのうち舞台の女性が橋本に話し掛けた。

「初めてなの?」

橋本は踊り子と話し込み、ストリップを民俗芸能だと考えるようになる。これをきっかけに各地の劇場を訪ね、楽屋に入り込み、踊り子の友人を作った。踊り子たちと一緒に海外旅行に行くほどの仲になり、彼女たちの私生活も知る。