「角川さん、あなたは生きている間にはここから出られませんよ」…拘置所の医師が「KADOKAWA元会長」に平然と言い放った「衝撃的な暴言」

AI要約

角川歴彦氏が無罪を訴える被疑者として逮捕・勾留される過程で受けた過酷な体験が明かされている。保釈が認められず、健康状態が悪化し、最終的に226日間も勾留された状況が詳細に描かれている。

角川氏の勾留中の体験から、日本の刑事司法における人質司法の問題点が浮き彫りになっている。検察の反対にも関わらず、健康上のリスクが高まる中で保釈が認められなかった過程が強調されている。

記事では、角川氏が提起した「角川人質司法違憲訴訟」について触れられ、異例の国家賠償請求訴訟が取り上げられている。

「角川さん、あなたは生きている間にはここから出られませんよ」…拘置所の医師が「KADOKAWA元会長」に平然と言い放った「衝撃的な暴言」

無罪を訴える被疑者を追い込み、意に反して有罪を認めるまで長期間勾留する人質司法。日本の刑事司法におけるこの悪弊をなくすために、前代未聞の国家賠償請求訴訟を起こした男がいる。東京五輪をめぐる贈収賄事件で逮捕・起訴され、226日間にわたり勾留された、KADOKAWAの元会長・角川歴彦氏だ。

提訴に伴い角川氏が出版した手記『人間の証明』(リトルモア)、刑事・民事の両面で角川元会長の弁護を担当する弘中惇一郎弁護士の談話と著書『生涯弁護人 事件ファイル1』『生涯弁護人事件ファイル2』『特捜検察の正体』(いずれも講談社)から、人質司法の闇に迫る。

2022年10月4日に角川氏が起訴されたあと、保釈請求をした弁護団は、すぐに保釈が認められると思っていた。当時の角川氏は79歳という高齢に加えて、心臓に持病があるため手術が予定されており、そのための重大な検査を控えていたからだ。

そして私は10月下旬から11月上旬にかけてKADOKAWAの取締役をはじめ複数の会社、団体、財団の役職をすべて退任した。検察がこれまでの保釈請求の意見書で懸念するような「経営トップとしての人事権をちらつかせて関係者の口封じをする」ことは事実上ありえなくなった。(『人間の証明』。以下引用部分は斜体)

しかし、予想にまったく反して保釈は認められなかった。

角川氏が勾留されたのは東京拘置所の5階にある3畳ほどの独居房で、コンクリートの上に薄い畳が敷いてあるため、畳を通じて冷えが伝わってきた。独居房では冷暖房設備が機能せず、角川氏の体調は次第に悪化していく。

10月9日の夜には、突如、心臓がドキドキする強い動悸を感じたため、急いで拘置所の医師に診察を求めた。診察が実現したのは40分後のことだ。「先日より血圧が高く、よくない兆候だ」。医師はそう述べただけで、具体的な対処を何ら施さなかった。

11月18日には弁護士との接見中、突然意識が遠のいた。急遽呼んだ複数の職員に抱えられ、医師の診察を受けた。

12月に入って新型コロナウイルスに感染した。世間では第八波の感染者が増加しているさなかだった。

逮捕から5カ月が過ぎた2月19日、弁護士との接見中、気を失った。人事不省に陥ったのは3回目だった。

角川氏は、これでは命をつなぐことさえおぼつかないと感じ、東京拘置所の医務官の診察時に、その不安を医師に漏らした。すると、拘置所の医師は平然と言い放った。

「角川さん、あなたは生きている間にはここから出られませんよ。死なないと出られないんです。生きて出られるかどうかは弁護士の腕次第ですよ」

恐怖と怒りで全身が震えた。ここにいてはだめだ。一刻も早く出なければ、ここで息絶えることになる。死をはっきり覚悟した瞬間だった。

しかし、弁護団がいくら角川氏の健康状態を訴えても、検察は絶対に保釈に反対するという非常に強い意見を出し続けた。「拘置所の中で対応できる。もし対応できなくても、拘置所外の病院に連れていくなど相応の体制を取ることができる」と。最終的に保釈請求が裁判所に許可されたときでさえ、検察は執拗に反対した。

角川氏が車椅子に乗ってようやく「死地」を脱したのは、2023年4月27日の深夜。実に226日間の長きにわたる勾留だった。

※次回記事<世界に恥をさらす日本の刑事司法の闇「人質司法」に切り込むべく「KADOKAWA元会長」が起こした訴訟>は、卑劣な「人質司法」の悪弊を正すために、角川元会長が提起した「角川人質司法違憲訴訟」の概要と、それをサポートする、日本を代表する法律専門家を集めたドリームチームというべき弁護団について説明する。

*本記事抜粋元の弘中惇一郎『特捜検察の正体』では、検察がもっとも恐れる無罪請負人が、「特捜検察の危険な手口20」を詳細に解説している。