古市憲寿が見つけた“ドイツの夏” ベルリン・フィルを野外音楽堂で

AI要約

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるシーズンエンドコンサートを観るためにドイツの野外音楽堂ヴァルトビューネを訪れる。会場はナチス時代に建設された歴史的な劇場であり、カジュアルな雰囲気が演奏開始と共に静寂に包まれる。

演奏と自然とが調和するヴァルトビューネでのコンサートを楽しむ中、お騒がせピアニストのユジャ・ワンの存在感が際立つ。日本でも同様の屋外コンサート会場を求めるものの、緯度や気象条件の違いから難しい現実を突きつけられる。

社会学者の古市憲寿がベルリンの夏至の時期と東京・沖縄の日没時間を比較しながら、日本版のヴァルトビューネの可能性に思いを巡らせる。

古市憲寿が見つけた“ドイツの夏” ベルリン・フィルを野外音楽堂で

「夏至の時期は北に行きなさい」という家訓に従って(一人暮らしなので自分で作って自分で守っているだけ)、今年の6月下旬はドイツにいた。目的地はベルリン郊外の野外音楽堂ヴァルトビューネである。毎年この時期に開催されるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるシーズンエンドコンサートを一度観てみたかったのだ。

 うわさでは聞いていたものの行くのは初めて。驚いたのはそのカジュアルさだ。まるでピクニックにでも来たかのように、サンドウィッチやフルーツを口にしながら開演を待つ人々。アリーナ席では各々がレジャーシートを敷いていて、これからクラシックのコンサートが始まるように見えない。

 実はヴァルトビューネは、少々いわく付きの場所である。ナチスドイツ時代の1936年、ベルリンオリンピックのために建設された劇場なのだ。

 ベルリンの街にはナチスの記憶が溢れている。というか、積極的にナチス時代を想起させるような仕組みがある。一等地に建設されたホロコースト記念碑やトポグラフィー・オブ・テラーはもちろん、何でもない雑踏に急に「ここは初期の強制収容所でした」という標識が現れたりする。

 ヴァルトビューネも、きちんとナチス時代を引き受けて、破壊されることなく、映画祭やコンサートに使用されてきた。1965年のローリングストーンズの公演で、ライブがあまりにも短時間で終了してしまったため暴動が発生した事件など有名である。1984年からはベルリン・フィルが演奏するようになり、夏の恒例行事となっている。

 午後8時、いよいよコンサートの時間だ。さっきまでピクニック気分だった観客も、演奏が始まった瞬間にぴたりと静かになった。時に演奏と共に鳥がさえずり、そよ風が吹き、自然との協奏が始まる。日の長いベルリンの空も薄らと暗くなり、どんな巨大モニターよりも大きな空という背景が演奏を盛り上げる。クラシック版のフェスともいえる雰囲気だ。

 もちろんお騒がせピアニストのユジャ・ワンも圧倒的な存在感を放っていた。彼女は最近年下のフィンランド人指揮者と破局、共演予定だったコンサートが続々とキャンセルされ、関係者を困らせている。

 ユジャ・ワンのゴシップはどうでもいいのだが、気軽に屋外でベルリン・フィルを楽しめるベルリン市民がうらやましい。もし日本版のヴァルトビューネがあるとしたら、場所はどこがふさわしいのだろう。ベルリンの緯度は北緯52度。日本列島でいうと、樺太の更に北になってしまう。現実的に難しそうである。

 せめて日没時間が遅い場所はどうか。当日のベルリンの日没時間は21時34分。夏至の時期でも東京の日没時間は19時ごろ。少し早すぎる。沖縄県の与那国島なら、夏至の日没は19時40分ごろ。20時過ぎまでは十分明るい。だがベルリンとは気象条件が違い過ぎて、まるで別物のコンサートになってしまいそう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)

1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2024年7月25日号 掲載