学者も仰天! ボロボロの木箱から出てきた「藤原定家の直筆本」のナゾ《冷泉家当主が解説》

AI要約

冷泉家に伝わる木箱が明治以来初めて開かれ、藤原定家の直筆本『顕注密勘』が発見された。

冷泉家は歌学を教える名家であり、800年の歴史を持つ。冷泉為人氏は25代当主であり、冷泉家時雨亭文庫の理事長も務める。

『顕注密勘』は『古今和歌集』の注釈書であり、原本は失われたとされていたが、藤原定家の自説が付け加えられた貴重な書物である。

学者も仰天! ボロボロの木箱から出てきた「藤原定家の直筆本」のナゾ《冷泉家当主が解説》

代々宮中で歌学を教えてきた冷泉家。この“歌の名家”に伝わる木箱が、明治以来、初めて開けられれると、藤原定家の直筆本が見つかった。存在しないと思われていた“幻の書”の発見に、調査を担う学者チームが大興奮。冷泉家25代当主の冷泉為人さんが、800年の時を超えた大発見の意義について 解説 する。

◆◆◆

 冷泉家に伝わる、その箱の存在は知られてはいました。

 明治29(1896)年を最後に一度も開けられることすらなくひっそりと受け継がれてきたもの──私もただ畏れ多く開けずに守ってきたのです。

 昭和55(1980)年から順に蔵書全体を調査するなかで、およそ130年ぶりにその箱を開けることになったものの、すでに貴重な文書は数多く発見されていましたし、もうあまり大したものは入っていないだろうと思っていました。ですから、調査を担当する学者チームから藤原定家直筆の『顕注密勘』が発見された、との一報を受けたときには仰天しました。発見した先生方も「国宝級のものがまだ眠っていたとは」と興奮冷めやらぬ様子でした。

〈国宝級の大発見について、こう語る冷泉為人氏は冷泉家の第25代当主。冷泉家は「歌聖」と仰がれた藤原俊成、定家父子を遠祖とし、800年の歴史を持つ。代々宮中で和歌を教えてきた家として知られ、貴重な文書を数多く守ってきた冷泉家の蔵は「文書の正倉院」とも呼ばれている。冷泉氏はその文書を保存、継承する「冷泉家時雨亭文庫」(京都市)の理事長も務めている。〉

『顕注密勘』が収められていたのは、縦約35センチ、横約50センチ、高さ約55センチの箱でした。上等な塗りの箱でもなく、ボロボロの木箱です。

『顕注密勘』は日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の注釈書で、歌僧の顕昭(けんしょう)による注釈に定家が自説を付け加えたものです。和歌研究のみならず国文学研究においても欠かせない書物であり、いくつもの写本が残されているのですが、原本は失われたとされていました。