『光る君へ』ではイメージ刷新、やりたい放題の「嫌われ偉人」藤原道長は気が小さい“ハードワーカー貴族”だった?

AI要約

藤原道長のイメージを刷新させるNHK大河ドラマ『光る君へ』についての話題。

道長は実はハードワーカーであり、繊細な一面もあった。

意外にも涙もろく、自身は繊細な性格だった道長の実像。

 NHK大河ドラマ『光る君へ』では、これまで「栄華をむさぼった貪欲な最高権力者」というイメージが強かった藤原道長のイメージを刷新させ、好評を博している。一方で「本当に道長はこんな好人物だったのか?」という疑問の声も上がるなど、史実における道長の実像についても、関心が高まっているようだ。果たしてどんな人物だったのか。

 (*)本稿は『実はすごかった!?  嫌われ偉人伝』(真山知幸著/日本能率協会マネジメントセンター)の一部を抜粋・再編集したものです。

■ 傲慢な道長の意外な素顔とは? 

 藤原道長は、平安時代に栄華を極めて、わがまま放題に振る舞った権力者として知られている。

 自分の娘を次々と天皇のもとに送り込み、孫を産ませては、自分の権勢を確固たるものにした。気に食わなければ、天皇でさえも退位に追い込んだというから恐ろしい。

 権力マックスの頃に詠んだ「この世をばわが世とぞ思ふ~」は、道長のゴーマンぶりを表す和歌として語り草になっている。

 ああ、一度くらいは道長のように、何でも自分の思い通りにコントールしながら、優雅でのんびりとした暮らしをしてみたいものだよなあ……。

 道長はそんなふうに思われがちだったが、日記などの文献を読み解くと、印象がガラリと変わる。実はかなりのハードワーカーで、メンタル的にも繊細な部分があったようだ。

■ イベントの出欠を細かくチェックする小心者

 藤原道長といえば、次の和歌を詠んだことでよく知られている。

 「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」

 意味としては、次のようなものになる。

 「この世で自分の思い通りにならないことなんてない。満月に欠けるもののないように、全てが満足にそろっている」

 ずいぶんとゴーマンだが、調子に乗るのも無理はない。道長は自分の娘を3人も天皇の后にするという前代未聞のことをやってのけた。

 まずは、長女の彰子(あきこ)を一条天皇に、一条天皇の後の三条天皇には次女の妍子(きよこ)を、さらに次の後一条天皇には、三女の威子(たけこ)を后、つまり天皇の妻として送り込むことに成功したのだ。これを「一家立三后」(いっかりつさんごう)と呼ぶ。

 さぞイケイケの男なのだろう……そう思いきや、道長の日記を見てみると、意外と繊細な性格だったことが分かる。

 自分が呼びかけた儀式に「誰が来て、誰が欠席したのか」を細かくチェック。貴族の藤原懐平(かねひら)が欠席したときには、このように深読みしている。

 「長きにわたって親交があるのに、 今日は来なかった。ちょっと不信感を持ってしまう。何か私に思うところがあったのであろうか」

 また、孫の敦成親王(あつひらしんのう)が三条天皇と初めて会ったときのことだ。7歳の孫がマナー作法を完璧にこなす姿をみて道長は感動。涙まで流したという。

 意外にも涙もろく、繊細だった道長。「傲慢」「強気」といった従来のイメージとは、実像が異なる人物だったようだ。