「軍艦ってつらいのかい…」戦闘から帰還した旧日本軍少年兵が母親に必死に隠した"尻の青あざ"

AI要約

戦後79年目の年、兵士が休暇を過ごす様子を描いた戡記文学『海の城 海軍少年兵の手記』の一部を紹介。

兵士が故郷に戻り、馴染みの風景を思い出しながら帰宅する様子が描かれる。

主人公が家族の安否を案じつつも、家が無事であることを確認し、喜びを感じる。

今年は戦後79年目の年に当たる。太平洋戦争に動員された兵士は、過酷な戦闘の合間に数日間の休暇を与えられることがあったという。戦艦武蔵に乗船し、沈没から生還した渡辺清さんが遺した戦記文学『海の城 海軍少年兵の手記』(角川新書)より一部を紹介する――。

■2年ぶりに、馴染みの景色に帰ってきた

 長いつづら折りの坂をのぼりきると、急に平坦な台地が開ける。ここからはいよいよおれの村だ。歩きながらおれはあたりを見廻す。もう附近の山や木立や家や、道ばたの電柱一本でも、おれの知らないものはない。なにもかも馴染みの景色だ。

 道のわきを今日も大川が流れている。水は生いしげったふちの草を洗いながら、いきおいよく下の滝つぼに落ちこんでいる。滝つぼには、かじかやはやにまじって、やまめもいるはずだ。おれもよく友だちとここへ来ては釣竿を下げ、夏になるとみんなでわいわい水あびをしたもんだ。

 取入口のある一本杉の下には、粉屋の水車が廻っている。陽のあるうちだったら、水車のまわりには虹がきれいにはるところだ。粉屋の向い側は豆腐屋だ。通りがかりに中をのぞいてみると、おれたちが前から“入道”とあだ名で呼んでいた目玉の大きいのっぽの親父が、今日もおからだらけの汚い前掛をして、たわしで釡を洗っている。

 その入口には、とっくりを下げた瀬戸の大きなたぬきが、ひょうきんな顔で往来を眺めている。学校のいきかえり、おれたちはよく面白がって、こいつにいたずらをして、そのたんびに何回あの入道におこられたことだろう。

■果たして家は無事だろうか

 あたりはもう真っ暗だ。たまにすれちがう人の顔もよくわからない。でも、いくら暗くたって、もうまわりの様子は自分の体のようにくわしい。蛙の声がいちだんと賑やかになった。

 上り坂になった。坂の上に八幡様の森が見える。あの森をかわればうちだ。坂の途中のポンプ小屋の横に、大きなダルマ石が立っている。これも二年前と同じだ……。

 だが、うちはあるだろうか。ひょっとして、火事にでもなったんじゃないか。なかったらどうしよう……。急に胸がドキドキしてきた。おれは坂をのぼりながら、わざとうちの方角を見ないようにして、そっぽを向いて歩いた。それから森のはずれまできて「えいっ」と掛声をかけるように、うちのほうへ顔をむけた。

 あッ、あった、あった。向うの田圃のはずれの暗がりの中に、かや葺きの屋根の輪郭が、ぼんやりと黒く浮いて見える。おれは思わず足を速めた。口の中はカラカラだ。

 やがて細い田圃道をつっきって、川っぷちの檜の生垣にかこまれたうちの前に出た。二年ぶりにかぐこうばしい檜の葉の匂い、ああ、とうとう帰ってきた。……おれはなんだかぼーっとなって、庭先の牛小屋の横に立ちどまったまま、何度も何度もこみあげてくる生つばをのみこんだ。