安倍昭恵氏「いずれは会って、本人からどうしてなのか聞いてみたい」…銃撃事件から2年、「国会招致を」40回求めた朝日新聞の無責任

AI要約

安倍元首相の銃撃事件から2年が経過し、安倍昭恵さんがついに事件と夫について口を開いた。

昭恵さんが取材を受けることを決意した経緯やその心境、異例な寛容さについて述べられている。

事件に関わる朝日新聞の報道や昭恵さんの姿勢について考察されている。

安倍昭恵氏「いずれは会って、本人からどうしてなのか聞いてみたい」…銃撃事件から2年、「国会招致を」40回求めた朝日新聞の無責任

 安倍晋三元首相の銃撃事件から2年がたった。そんな中、安倍昭恵さんがついに事件と夫について口を開いた。ライターの梶原麻衣子氏が綴るーー。

 安倍元首相の銃撃事件から、丸2年が経った。「3回忌」ということもあってか、これまで事件に関する取材を受けてこなかった安倍昭恵さんが月刊『Hanada』(2024年8月号)や、安倍政権に最も厳しい論調を取り森友問題では自身の責任を追及する急先鋒だった朝日新聞(紙面では7月3日付)に登場したのには、ある意味では無情な時間の経過を感じざるを得なかった。

 朝日新聞の記事に〈通夜、葬儀、国葬、山口県民葬とあわただしい日々が続く。「現実のこととして受け入れていなかった。仕事のような感じでした」と語る〉とあるように、ようやく事件と夫の不在に対する「実感」がわいてきたのかもしれない。

「話すと泣いてしまうので」と取材を断っていた昭恵さんが、ようやく涙をこらえつつも事件と夫について口を開くことを決意したことになる。その心境を思うと、言葉を連ねるのもためらわれるほどだ。

 もちろん、政治家たるもの「畳の上では死ねない」ものだという覚悟は、妻である昭恵さんにもあったのだろう。月刊『Hanada』の櫻井よしこ氏との対談でも、北朝鮮へ行く際に安倍元首相が「もしかしたら命を狙われるかもしれない」「何かがあったときは立派に見送ってくれ」と言っていたとのエピソードを明かしている。

 とはいえ、朝日新聞の記事でも述べているように、昭恵さんが当初から一貫して「いずれは会って、本人の口から、どうしてなのか聞いてみたい」「恨むという気持ちを持ちたくないと思っている」と言っているのは、やはり驚くべきことだ。

〈恨みの感情は一番ネガティブな感情なので、そういう感情を持ち続ける人になりたくない〉(対談)と述べるように、昭恵さん自身の(スピリチュアルなものも含む)価値観に根差すものからくるのだろう。だが、自身の生き方がそうだからと言っても、命を奪った山上被告、あるいは政治生命に打撃を加えた朝日新聞に対して、そう簡単に達観した思いを持てるわけではない。

 朝日新聞については森友事件の際に40回にもわたって「昭恵夫人も国会で説明を」「証人喚問を」と書き続け、安倍元総理も昭恵さんも窮地に追いやられた。にもかかわらず、「恨み」「反感」を出さず、時に涙を拭いながら取材に応じた昭恵さんを前に、朝日新聞の記者は何を感じたのか。