『光る君へ』筆マメな藤原宣孝の猛アプローチで夫婦になるも、紫式部が新婚早々に大激怒したワケ
『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』では、まひろ(紫式部)が藤原宣孝の求愛を受けて越前を離れて都に戻る様子が描かれる。
宣孝の猛アプローチによって結婚が決まるまでの経緯が特に焦点となり、歌を通じてお互いの思いを伝え合う姿が描かれる。
父の為時が越前守としての奮闘や都での政治情勢など、物語の背景が細やかに描かれている。
『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第25回「決意」では、まひろ(紫式部)が藤原宣孝の求愛を受けて、越前を離れて都へ戻る。一方、宮中では、一条天皇が中宮の藤原定子に夢中になり、政務を怠るようになり……。今回の見どころについて、『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
■ 1年半の滞在で越前を離れた紫式部
父の藤原為時(ためとき)が越前守へと思わぬ出世を果たしたことで、紫式部も一緒に越前へと渡ったが、1年半の滞在で都に戻っている。
今回の放送では、岸谷五朗演じる藤原為時が、前任の越前守が行っていた不正を正そうとするも、税を多く収めさせられている民のほうから「このままでお願いします」と懇願されてしまう。為時が「これ以上、余計な搾取はならぬと、私がみなに言い聞かせる」と安心させようとしても、こんなふうに言われてしまう。
「恐れながら4年で都にお帰りになる国司様には、お分かりにはなりますまい。どうぞ、今のままにしておいてくださいませ」
落ち込んだ為時が「わしは世の中が見えておらぬ」とまひろにこぼす場面もあったが、この言葉にあるように、国司の任期は4年である。もともとは6年だったが、10世紀のはじめに国家体制が変わって、4年に短縮されることとなった。
いずれにしても、まひろは父が任期を終えるのを待たずして、都に戻ったことになる。その理由は、藤原宣孝(のぶたか)との結婚だったとされている。
■ 宣孝の猛アプローチによって結婚へ
父の為時にとって、宣孝は親戚で、かつ元同僚だ。為時と同年代であるため、式部とは年齢が20歳ほど離れている。
しかも、宣孝には妻子がいたこともあり、父としては複雑な思いもあったことだろう。ドラマでは、為時がまひろにこんな言葉をかけている。
「ただ、これだけは心しておけ。宣孝殿には妻もおるし、妾も何人もいる。お前も慈しむであろうが、 他のおなごも慈しむであろう。お前は潔癖ゆえ、そのことで傷つかぬよう心構えはしておけよ」
それに対してまひろは「そのことも都で考えてみます」と答えている。その後、都に帰って宣孝と結婚することになるが、実際はどんな経緯があったのか。
式部は長徳3(997)年の年末から翌年の春にかけて、都へと戻った。すると、これまで歌で求愛してきた宣孝が、式部の邸宅を訪れて直接、思いを伝えるようになった。次の歌は、お互いが結婚を意識するようになる中で、宣孝が贈った歌とされている。
「けぢかくて たれも心は 見えにけむ ことはへだてぬ ちぎりともがな」
(親しく話すようになって私の思いも分かってもらえたでしょうから、できるならば隔てのない仲になりたい)
それに対して、まひろは下記のように返事をしている。
「へだてじと ならひしほどに 夏衣 薄き心を まづ知られぬる」
(私は隔てをもたないようにと思っていつもお返事しておりますのに、かえって夏衣のような、あなたの薄い心を先に知ることになりました)
式部の返事は一見、相手を批判しているようだが、よく読むと「私はすでに隔てを持っておりません」ということ。求愛を受け入れるという姿勢を見せている。
ドラマでは、「こんなに筆マメな方だとは知りませんでした」というセリフによって、手紙のやりとりが盛んに行われていたことが示唆されていた。やはり、いつの時代もマメな男がモテるのだろう。