「総会屋事件の主任検事をやってもらうからな」平成事件史:戦後最大の総会屋事件(6) 「最強」捜査機関の実像

AI要約

かつて「総会屋」という裏社会の人々がいた。企業の弱みにつけ込み、株主総会に乗り込んで経営陣を震え上がらせる。毎年、株主総会の直前になると「質問状」を送りつけて、裏側でカネを要求した。

昭和から平成にかけて、たったひとりの「総会屋」が、「第一勧業銀行」から総額「460億円」という巨額のカネを引き出し、それを元手に4大証券の株式を大量に購入。大株主となって「野村証券」や「第一勧銀」の歴代トップらを支配していった戦後最大の総会屋事件を振り返る。のちに捜査は政治家への利益供与、そして大蔵省接待汚職事件に発展したーーー

業界ナンバーワンの野村証券への強制捜査のインパクトは大きかったが、これはプロローグにすぎなかった。東京地検特捜部長の熊崎は、1996年12月に就任以来、4月以降の捜査体制を練り上げ、内々で「主任検事」を決め、異動前に指示を出していた。

「総会屋事件の主任検事をやってもらうからな」平成事件史:戦後最大の総会屋事件(6) 「最強」捜査機関の実像

かつて「総会屋」という裏社会の人々がいた。企業の弱みにつけ込み、株主総会に乗り込んで経営陣を震え上がらせる。毎年、株主総会の直前になると「質問状」を送りつけて、裏側でカネを要求した。

昭和から平成にかけて、たったひとりの「総会屋」が、「第一勧業銀行」から総額「460億円」という巨額のカネを引き出し、それを元手に4大証券の株式を大量に購入。大株主となって「野村証券」や「第一勧銀」の歴代トップらを支配していった戦後最大の総会屋事件を振り返る。のちに捜査は政治家への利益供与、そして大蔵省接待汚職事件に発展したーーー

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業界ナンバーワンの野村証券への強制捜査のインパクトは大きかったが、これはプロローグにすぎなかった。東京地検特捜部長の熊崎は、1996年12月に就任以来、4月以降の捜査体制を練り上げ、内々で「主任検事」を決め、異動前に指示を出していた。

かつてない大型金融経済事件に臨むにあたり、東京地検特捜部の新体制はどう構成されたのか、「最強」と言われた捜査機関の実像をひも解く。

■ 密かに特捜部に出向いてコピー

野村証券元社員の内部告発、「北海道新聞」のスクープから半年以上、特捜部は1997年3月25日、ついに業界トップ、ガリバー野村証券本社などの一斉家宅捜索に踏み切った。

夕方4時23分から始まった東京・日本橋の野村証券本社「軍艦ビル」への家宅捜索には、東京地検の検事、検察事務官や証券取引等監視員会の調査官ら180人以上が動員され、真夜中まで続けられた。

机の引き出し、ロッカー、本棚から大量の資料が段ボールに詰め込まれた。同社の役員らは、深夜になって特捜部から帰宅を許可されたが、多くのメディアがまだ本社前で、捜索が終わるのを待って取り囲んでいた。

このため役員らはめったに使わない裏口から外に出て、日本橋川沿いを懐中電灯を照らしながら、昭和通りまで歩き、タクシーで帰宅したという。

新年度を迎えるにあたり、特捜部長の熊﨑は法務総合研究所教官から特捜部に戻る予定になっていた井内顕策(30期)を、泉井事件の次のターゲットに見据えた野村証券、総会屋捜査全体の「主任検事」にあてることを決めていた。

井内は熊﨑副部長時代の「ゼネコン汚職事件」で、公正取引委員会の梅沢元委員長から核心の自白を引き出すなど、「割り屋」として名を馳せていた。その後、特捜部副部長として政治家の中尾栄一元建設大臣を受託収賄で逮捕して取り調べ、特捜部長当時は「西武鉄道事件」のほか、「日歯連ヤミ献金事件」を手掛け、村岡兼造元官房長官を政治資金規正法で在宅起訴するなど永田町に睨みをきかせた。熊﨑だけでなく、特捜部副部長の笠間治雄(26期)もそんな井内に全幅の信頼を寄せていた。