防空壕に逃げて助かった女性「本当にびっくりするくらいの人が」と声詰まらせ…空襲から79年

AI要約

和歌山県美浜町浜ノ瀬で51人が犠牲となった「浜ノ瀬空襲」から79年が経過し、空襲の体験を語る集いが開かれた。

1945年6月22日に日高地方で起きた空襲で、同町浜ノ瀬には21発の爆弾が投下され、51人が亡くなった。

集いでは、空襲を経験した4人が体験を語り、平和について考えるきっかけとなった。

 和歌山県美浜町浜ノ瀬で51人が犠牲となった「浜ノ瀬空襲」から79年となった22日、空襲の体験を聞く集いが浜ノ瀬住民会館で開かれ、約40人が参加した。

 1945年6月22日、日高地方で相次いで空襲があり、同町浜ノ瀬には午前8時25分、21発が投下され、51人が亡くなった。

 日高地方の空襲を調査し、約40年前に本にまとめた県立御坊商工高(現・紀央館高)の地歴部・社研部の元部員、前山輝代さん(55)らが戦争が絶えない中で平和について考えてもらおうと企画した集いでは、空襲を経験した4人が体験を語った。

 防空 壕(ごう)に逃げて助かったという井澗勝子さん(88)は近所の亡くなった人の名前を挙げ、「本当にびっくりするくらいの人が……」と声を詰まらせた。

 当時7歳だった寄住敏和さん(86)は「近くの防空壕に逃げ込んだら、地響きが聞こえ、砂煙が舞ったのが記憶に残っている」と振り返り、「戦争が起こらないよう、平和のために力を合わせないといけない」と話した。