「電車内のマナーが悪い」と互いに批判しあう「若い女性」と「高齢男性」の深刻な対立

AI要約

電車内でのマナー違反について、人々の気になる行動や起こりやすさ、それがなぜ問題化されるのかについて考察される。

車内マナーの歴史がたどられ、現代人のマナー意識の形成や高度化について解説される。

過去のエポックメイキングな出来事やマナー論争の様子が分析され、社会全体に影響を与えていたことが示唆される。

「電車内のマナーが悪い」と互いに批判しあう「若い女性」と「高齢男性」の深刻な対立

 座席で足を広げる、携帯電話で通話する、優先席を譲らない、満員電車でリュックを前に抱えない……など、その「ふるまい」が人の目につきやすく、ときにウェブ上で論争化することも多い、電車でのマナー違反。

 現代人は、なぜこんなにも電車内でのふるまいが気になり、イライラしたり、イライラされたりしてしまうのか? 

 そんな疑問を出発点に鉄道導入以来の日本の車内マナーの歴史をたどり、鉄道大国・日本の社会を分析した 『電車で怒られた! 「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(6月19日発売・光文社新書)を、日本女子大学教授・田中大介さんが上梓する。

 現代人のマナー意識を形作る、「気遣いの網の目」を解きほぐしつつ、丹念に鉄道マナーの歴史を追う本作から、エポックメイキングな出来事などを分析した一部を紹介する。

 ※本記事は田中大介著『電車で怒られた! 「社会の縮図」としての鉄道マナー史』から抜粋・編集したものです。

 その一方で、マナーに関する投書・投稿の増加による規範意識の高度化は、規範内容の分散・拡散をともなっている。というのも、新聞・雑誌・冊子というメディアの特性上、男性、女性、子ども、若者、年配者、高齢者、外国人など、多様な立場の人びとの投稿・投書が取り上げられるためである。その結果、マナーの良し悪しを互いに評価するようになり、互いに「劣化している」と罵りあうことさえあった。

 たとえば、当時(1990年前後)の論調を考えるためには、その名も『若いやつは失礼』(小林道雄、岩波ジュニア新書、1988年)という本がわかりやすい。昭和一桁世代による同書は、電車のシートに体をだらりと沈め、足を伸ばしている若者の話からはじまる。

 そこから、すきまをあけて席を詰めない、周囲の邪魔になるスポーツバッグの持ち方・置き方をする、ドア付近の手すりへのもたれかかり、高齢者に席をゆずらない若者たち、奇声のようなアホな話し方をし、ドアのところにかたまって車外にでない女子高生を次々に批判していく。

 著者は、こうした若者たちは、失礼で、みっともなく、カッコ悪く、美しくないし、ムカつく、という。道徳的礼節としての「非礼」、エチケット的美学としての「醜悪」、マナー的感覚としての「不快」といったこれまで紹介してきた用語系を駆使しながら、縦横に批判が展開されている。

 その後、批判はさらにその他の場所のふるまいにも広がっていき、おじさん・おばさん、高齢者たちにも向けられる。説教することには自分もためらいはあるといいながら、批判の対象に自分は含まれていない。このようにやたらと大仰で、攻撃的な語り口であることもこの時期の言説の特徴だが、結局、問題の改善は、個人主義の徹底という「個人」の問題に還元されている。後に触れるように、これは1990年前後のマナー論争においてみられた語り口をよく表している。