「合併しない宣言」福島・矢祭町長を6期24年務めた根本良一さんの死 地方自治法改正案審議に思う国に物申す首長はどこへ

AI要約

福島県矢祭町の6期24年にわたる町長である根本良一氏が亡くなった。彼が2001年に行った「合併しない宣言」は、国の合併政策に異を唱えたものであった。

矢祭町は住民の支持を受けて自立を進め、国の指導に対しても独自の姿勢を貫いた。根本氏のリーダーシップと住民の協力が町を支えた。

現在、地方分権改革を損なう法改正が進行中であり、自治体側がもっと声を上げる必要がある。根本氏のような強い信念を持つ指導者が求められる時だ。

「合併しない宣言」福島・矢祭町長を6期24年務めた根本良一さんの死 地方自治法改正案審議に思う国に物申す首長はどこへ

 福島県矢祭町(やまつりまち)の町長を6期24年務めた根本良一さんが、5月下旬に亡くなった。九州の読者にはなじみのない地名かもしれないが、矢祭町は根本さんが町長だった2001年に「合併しない宣言」で名をはせた。

 当時、国は市町村合併を強力に推し進めた。財政力の弱い市町村の鼻先に、合併特例の財政優遇をぶら下げ駆り立てた。1999年から2010年までの「平成の大合併」で、市町村の数は3232から1727へ半分近く減った。

 後年、根本さんに取材すると宣言の意味をこう語った。

 「合併は地域の将来を決めることだから、するもよし、しないもよし。当たり前のことだ。ところが、あの頃は国からの風圧が強かった。宣言をして、国に抗議をしたと思っている」

 宣言の2週間後、総務省から合併担当室長が飛んで来た。市町村合併は「画期的な行政改革の手段」と述べ、規模を大きくするメリットを説いたという。

 余計なお世話だ。国がとやかく言うことではない。根本さんの言う通り、合併するもよし、しないもよし。決めるのは市町村。それが地方自治である。

 矢祭町を訪ねると、住民が宣言に共感していることがよく分かった。町の財政が厳しいなら協力しようと、公衆トイレの掃除や、河川敷の草刈りを買って出る人がいた。全国に募った寄付が40万冊を超えた「矢祭もったいない図書館」の蔵書整理もボランティアが担った。

 住民の後押しがあったからこそ、根本さんは腹を据えて役場をスリム化し、自立の歩みを進められたのだろう。

 矢祭町は個人情報漏えいの不安を理由に、国が全国に張り巡らせた住民基本台帳ネットワークに参加しなかった。国に物申す姿勢は一貫していた。

 あの頃は首長の言動が熱を帯びていた。合併しない宣言の前年、国と地方の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に変える地方分権一括法が施行。まさに時代の転換点だった。

 懐かしむばかりではいられない。長い年月をかけてたどり着いた分権改革を損なう法改正が今国会で成立しそうだ。

 自治体に対する国の指示権が拡大する。重大な変更なのに、国会審議を聞いてもどんな場合に行使するかがさっぱり分からない。「白紙委任しろ」と言わんばかりだ。

 全国知事会が求めた国と自治体との事前協議は規定されなかった。「どういう運用をされるかは不透明」(服部誠太郎福岡県知事)なのに、すんなりと成立させてよいのか。

 知事や市町村長はおとなし過ぎる。もっと声を上げないと。根本さんならどんな言葉を発しただろう。