雲仙・普賢岳の大火砕流から33年、島原で追悼行事…消防団員の遺族の消防士「命かけた父のように」

AI要約

1991年の長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から、3日で33年となった。島原市では追悼行事が営まれ、慰霊の鐘が鳴らされる中、遺族や警察官らが犠牲者を偲んだ。

消防団員や報道関係者ら43人が犠牲になった災害は、その後も続発し、96年まで続いた。遺族は今も被災者を偲び、未来の安全を祈る。

現在も雲仙・普賢岳では火山活動が続き、過去の被害を忘れずに安全対策を続ける必要がある。

 1991年の長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から、3日で33年となった。消防団員や警察官、報道関係者ら43人が犠牲になった被災地の同県島原市では各地で追悼行事が営まれ、鎮魂の祈りに包まれた。

 犠牲となった消防団員らの詰め所だった「北上木場(きたかみこば)農業研修所」跡地では、発生時刻の午後4時8分に慰霊の鐘が鳴らされ、遺族や警察官らが黙とうした。消防団員だった父親(当時37歳)を失った男性(36)は「優しく正義感の強い人だったと母から聞かされた。家族を残して悔しかったと思う」と語った。男性は現在、消防士をしており、「人を守るために命をかけた父のようになりたい。子どもたちにも伝え続けていく」と話した。

 雲仙・普賢岳では火砕流や土石流が相次ぎ、93年6月の火砕流でも住民1人が死亡。終息宣言が出たのは96年6月だった。