大火砕流から33年 遺族ら黙とう「次世代に引き継いでいかねば」

AI要約

1991年に起こった長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から33年が経った。遺族や地元住民らが鎮魂の祈りを捧げた日となり、消防団員を追悼する式典が行われた。

被災地である「北上木場農業研修所跡」では、消防団員の遺族が大火砕流が発生した時刻に黙とうを捧げ、慰霊の鐘が鳴らされた。犠牲者を思いやる気持ちが深く表現された。

大町安男さんの長男である祐介さんが、犠牲者を称えるために慰霊の行事に参加し、子孫に犠牲者の思いを伝え継ぐ必要性を語った。現在も噴火警戒区域となっている地域での追悼が行われた。

大火砕流から33年 遺族ら黙とう「次世代に引き継いでいかねば」

 43人が犠牲になった1991年の長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から33年となった3日、同県島原市は朝から鎮魂の祈りに包まれた。警戒中だった消防団員らが亡くなった、「北上木場(きたかみこば)農業研修所跡」では、大火砕流が発生した午後4時8分に遺族らが黙とうした。

 同研修所跡では、消防団員だった大町安男さん(当時37歳)の長男で陸上自衛官の祐介さん(41)=熊本市=が慰霊の鐘を鳴らした。祐介さんは「いろんな方が犠牲になられた。その人たちの思いを、息子や孫の世代に引き継いでいかなければならない」と話した。

 報道陣の取材拠点だった「定点」では、報道関係者らが犠牲者を悼んだ。夜には島原市平成町の雲仙岳災害記念館で、地元の小中学生が作ったキャンドル約2000本に灯をともす「いのりの灯(ともしび)」があった。

 普賢岳は90年11月、198年ぶりに噴火し、96年に終息宣言が出された。現在も噴火活動によって形成された溶岩ドーム(平成新山)周辺は警戒区域となっており、立ち入りが禁止されている。【松尾雅也、百田梨花】