長崎市の「反核座り込み」今月で500回…猛暑や降雪でも続け45年間「いつか核兵器なくす大きな力に」

AI要約

長崎原爆の日に合わせ、被爆者らが毎月9日に行う「反核9の日座り込み」が500回目を迎える。

市民の連帯感を生み出し、核兵器のない世界を目指す取り組みが続いている。

参加者には被爆者だけでなく、若者や母親も含まれており、座り込みは30分~1時間行われている。

 長崎原爆の日(8月9日)に合わせ、被爆者らが長崎市の平和公園で毎月9日に行う「反核9の日座り込み」が今月、500回目を迎える。ロシアの核威嚇や北朝鮮の核・ミサイル開発など核軍縮をめぐる情勢が厳しさを増す中、参加者たちは「『核のない世界』を目指す意志をこれからもつないでいく」と誓っている。(勢島康士朗)

 「多くの市民が一緒に継続して取り組むことで連帯感が生まれ、いつかは核兵器をなくす大きな力になると信じている」。平和公園の平和祈念像前で5月、被爆者の川野浩一さん(84)が力を込めた。約20年前から毎回、座り込みに参加している。

 1978年10月16日に原子力船「むつ」が佐世保港に入港したことをきっかけに、長崎県労働組合評議会(現・県平和運動センター)と原水爆禁止県民会議が79年3月に始めた。当初は毎月16日に行われていたが、82年のむつ出港後、9日に変更された。平和祈念式典がある8月を除いて毎月、実施。被爆者らは45年間、猛暑や降雪の日も祈念像の前で続けてきた。

 長崎の被爆者4団体の一つ「県平和運動センター被爆者連絡協議会」で議長を務める川野さん。座り込みに加わった頃は組合活動の一環で集まる人が多く、参加者は60~70人だった。労組運動が下火になると、組合色が薄まる反面、市民運動として共感を呼ぶようになった。今では高校生や子育て中の母親らの姿も目に付く。毎月100人ほどが30分~1時間、横断幕などを掲げ、世代を超えて座り込む。

 高校1年の時から参加しているという県内の大学3年生、大沢新之介さん(20)は「私にとっての平和運動の原点。多くの人が続けてきた重みを受け継いでいきたい」と話す。

 北朝鮮による核実験など核軍縮に逆行する動きがあれば、緊急に実施することもある。米国が5月14日に核爆発を伴わない未臨界実験を行った際も、1週間後に約40人で抗議の意思を示した。こうした座り込みは50回以上に上るという。