“鴨ダイ”として親しまれた「イオン鹿児島鴨池店」が約半世紀の歴史に幕 最終日には2万人の来店客が別れを惜しむ

AI要約

1975年の開業以来、多くの鹿児島県民に親しまれた鹿児島市のイオン鹿児島鴨池店が2024年8月31日に閉店した。

ダイエー時代からイオンに変わり、半世紀にわたる歴史を持つこの店は老朽化が主な理由で閉店となった。

来店客や従業員が思い出を胸に最後の日を迎える中、懐かしい場所として記憶されている。

ダイエーのオープンは鹿児島経済にメガトン級のインパクトをもたらし、県外資本による大型商業施設の誕生は県内に流通競争をもたらした。

初日から大変な混雑ぶりを見せ、正月の初商いでは大勢の来店客で賑わった。

閉店が迫る8月下旬に店内を訪れ、商品が売り尽くされる中、来店客からは感慨深いメッセージが寄せられていた。

また、この店が多くの人にとってかけがえのない場所であり、様々な思い出が共有されていることが伝わった。

“鴨ダイ”として親しまれた「イオン鹿児島鴨池店」が約半世紀の歴史に幕 最終日には2万人の来店客が別れを惜しむ

1975年の開業以来、多くの鹿児島県民に親しまれた鹿児島市のイオン鹿児島鴨池店が2024年8月31日に閉店した。涙で閉店を見届ける人、ねぎらいの声をかける人。客や従業員それぞれが数々の思い出を胸に、「最後の日」を迎えていた。

イオン鹿児島鴨池店は、鹿児島市鴨池2丁目、鹿児島市電・郡元電停前にある。

かつてここには鴨池動物園があったが南部の平川町に移転し、1975年、「ダイエー鹿児島ショッパーズプラザ」がオープンした。オープン当日は雨にもかかわらず、来店者数は延べ8万人と大変な混雑ぶりだった。以来、“鴨池ダイエー”として親しまれ、正月の初商いでは、人、人、人のおおにぎわいだった。

鹿児島のシンクタンク、九州経済研究所・経済調査部の福留一郎部長は、ダイエー(当時)のオープンは「鹿児島経済にメガトン級のインパクトを与えた」出来事だったと分析する。ダイエーは安値で勝負を打ち出したうえに、品ぞろえも豊富だったため、1店舗できただけで一気に客が流れていったのだ。県外資本による大型商業施設の誕生は、県内に流通競争をもたらしたと言われている。

2015年にイオン九州へと営業権が移り、店名が「イオン鹿児島鴨池店」に変わった。ダイエー時代から数えるとその歴史は約半世紀になる。施設の老朽化が閉店の主な理由だ。

閉店が迫る8月下旬に店を訪ねた。

中に入るとまず目につく円形広場と3階までの吹き抜け。店のシンボルだ。

売り場に進むと、店頭では売り尽くしの文字が並び、商品も少なくなっていた。一方、店の通路スペースに立てられたメッセージボードには、閉店を惜しむ来店客から多くのメッセージが寄せられていた。

県民にとって、ここはどんな場所だったのだろうか。来店客に話を聞いてみると、「家族とみんなで来てアイスクリームを食べた。(閉店は)ちょっと涙が出そう」、「地元の友達と遊ぶとなったら、やっぱ『鴨ダイ行こうぜ』となる」など、この店がかけがえのない場所だったことがわかる。

ある男性は、この場所で妻と出会って結婚したと教えてくれた。最後だから来てみたというこの男性は、「奥に着物屋があってそこにいた。思い出ですね」と寂しそうに語った。

鴨池のダイエー、イオンの名物店といえば、1階広場に面するクレープ店・ディッパーダンだ。ディッパーダンは全国チェーンの店で、1997年からこの場所で甘い香りを放ち続けてきた。店長の福元詩織さんは子どもの頃、ここでクレープを食べたそうだが、まさか自分が店長になるとは思っていなかったそうだ。

「懐かしんで来てくれるお客さんがとても多くて、最後と思って一つ一つ丁寧にできたら」そう語る福元さんの瞳は潤んでいた。