和洋折衷の銘菓「さが錦」 知名度アップさせた営業戦略 佐賀

AI要約

地元佐賀市の伝統織物をイメージした「さが錦」は、1971年に誕生し、和洋折衷の味わいで親しまれている。

製造工程の大半は職人の手作業により行われ、個別包装タイプと棹(さお)タイプの両方が年間多数販売されている。

さが錦は地元開催の国民体育大会の際に知名度が上がり、現在は季節限定の新しい味も展開されている。

和洋折衷の銘菓「さが錦」 知名度アップさせた営業戦略 佐賀

 浮島と呼ばれる柔らかい生地をバウムクーヘンではさんだ「さが錦」。江戸時代から続く地元の伝統織物「佐賀錦」をイメージした村岡屋(佐賀市)の菓子は、半世紀を超えて親しまれている。

 1971年の発売。それまで店の主流だったようかんや丸ぼうろとは違う「新しい土産菓子を作りたい」と、構想から4年の歳月をかけて生み出した和洋折衷の味わいだ。

 「和」の浮島は、しっとり感を出すため生地に山芋を練り込み、トンネル窯で焼く。「洋」のバウムクーヘンは一層ずつ手で延ばして重ねて焼くこと13回。2種類の菓子をチョコレートがつなぐ。

 製造工程の大半は職人らの手作業によるものだ。個別包装タイプは年間約450万個、棹(さお)タイプ(7個入り)は年間15万6000本が販売され、さが錦の売り上げは村岡屋の全商品のうち約5割を占めるという。

 菓子の知名度アップにはあるイベントが一役買った。営業部統括部長の笹原秀孝さん(65)によると、発売直後から直営店はもちろん、ホテル関係などに幅広く営業活動。5年後に地元開催の国民体育大会を控えていたためで、全国から集まった人たちがさが錦を味わう絶好の機会となった。24年秋には国民スポーツ大会と名を改めて、佐賀で2度目の祭典が開かれる。

 22年から季節限定で抹茶、キャラメル、ミカン、イチゴの四つの味を展開、好評という。笹原さんは「将来的には量産できるよう検討したい」と話している。【井上和也】

 ◇村岡屋とは

 1928年、佐賀市に村岡羊羹(ようかん)店を創業。53年、店名を村岡屋と改称。71年にさが錦を発売。76年、佐賀で開かれた第31回国民体育大会(若楠国体)で昭和天皇にさが錦を献上。1個140円、1棹756円。佐賀・福岡に計21店舗。本社(0952・34・5003)。