日本でもよくある…「無意味な仕事」を楽しそうにやらなければいけない「人間の深い苦悩」

AI要約

エッセンシャル・ワークよりも高い給料を得る「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」の背景とは、労働観や感情の動員が関係している。BSJは明確なルールや規定がないため、演技やふりが求められ、あいまいさが特徴となっている。

BSJに従事する従業員は、時に上司の合図や「空気」を読む能力が求められる。一部の職場では内職を許容するなど、仕事と自由な時間の境界線が曖昧である場合がある。

また、BSJに携わる人々は、先輩や同僚からの模倣や教示を通じて、仕事のやり方や振る舞いを学ぶ。給与や労働環境が曖昧なままで成立しているBSJの世界にはさまざまな奥深い事情が存在する。

日本でもよくある…「無意味な仕事」を楽しそうにやらなければいけない「人間の深い苦悩」

「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは?

ブルシット・ジョブ(BSJ)もおなじく、感情の動員を必要とするものが多くみられます。そしてそれは、このBSJ特有の「あざむき」の次元とかかわっています。

たとえば、キャンパス内の売店でバイトをやっている大学生のパトリックの証言のなかにつぎのようなものがでてきます。

その仕事は、学生会館の売店としてはかなりふつうのもので、(機械化もかんたんなはずの)レジ打ちのサービスに従事するものでした。はっきりと明示された条件があって、研修期間後のわたしの業績評価には「顧客へのサービス提供時には、もっと積極的であかるくなければならない」とありました。ですので、実質的には機械がほとんどこなせる仕事をやらせたいばかりか、それをわたしがたのしんでいるかのようなふりをさせたかったのです(『ブルシット・ジョブ』111ページ)

別に人力の必要のないレジ打ちの仕事にくわえて、このたのしんでいるかのような演技の次元がパトリックのいらいらに拍車をかけています。

ただし、これも一応、あかるくしてください、と雇用の条件に明示されています。マクドナルドも客室乗務員もおなじです。マクドナルドの店員は、これはあとでまた説明しますが「クソ仕事」かもしれませんがBSJではありませんし、客室乗務員はもちろんBSJではありません。そして、そこでの感情の動員も、それがまた別のストレスは強いていますが、BSJのそれとは異質です。なにが異質なのでしょうか。

その要因が、この「あいまいさ」なのです。BSJはこうした「ふり」をどうすべきなのか、規定があるわけではありません。それこそすべては「空気」です。

仕事は実はほとんどないんだよね、だから呼びだしがあるとき以外は遊んでていいよ、とはっきり上司がいいわたす職場はあまりないでしょうし、ましてや、それが職務規程で明文化されている職場もなかなか考えにくいものがあります。すべては「あうん」の呼吸で成立しています。

たとえば、『ブルシット・ジョブ』では、監督者である上司がなんとなく合図するということになっている職場もあります。イギリスの地方の役所で働くベアトリスの例です。

わたしの手本となる「上級管理職」の方々が、サッカーワールドカップの生中継をめいめいのデスクトップで流しっぱなしにしていたこともあります。わたしの理解では、こういうそぶりのあるときは、ゆるくていい時間だったので、仕事の必要がないときは内職に励みました(『ブルシット・ジョブ』148ページ)

とこんな具合です。

この上司にはっきりと、あ、いま内職していいんですよね、と、「空気の読めない」職員が聞きにいったとしたら、この上司はおそらく、そんなわけないだろ、仕事しろ、とか、あるいは、もっとやさしい人であれば、「だめなんだけど、まあ、ごにょごにょ」とか、あいまいに濁して返すでしょう(ただし、グレーバーも大学院生時代、学内アルバイトでマルクス派の教授だからだいじょうぶだろうと「実質の仕事ってどれぐらいですか?」と聞いたら、意外にも「おまえ、ふざけてんのか」的な反応が返ってきたエピソードをあげてますが、どんな反応がくるかは、その人の一見した「キャラ」からは読めなかったりするんですよね)。

みんな、たとえば(長期雇用であれば)職場で先輩がすでにやっているのを見習ってとか、こっそり教えてもらうとかしておぼえたりするのです。