羽田空港の「衝突事故」をなぜ防げなかったのか…「人間ではなくAIに任せればいい」への元管制官の回答

AI要約

2024年1月、羽田空港で日本航空と海上保安庁の航空機が滑走路上で衝突事故が発生。17時47分頃に発生し、海上保安庁機の乗員5人が亡くなる大事故となった。

過去にも滑走路上の衝突事故は複数起きており、事故原因は様々な要因が絡み合っているため、一概には断定できない。

元航空管制官の著者は、事故の背景には出発を急いだことや視認性の悪さなど様々な要因があると指摘している。

東京・羽田空港で今年1月、日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した。この事故をきっかけに、航空管制がアナログであることを懸念する意見が挙がっている。人間が行っている業務をテクノロジーが代替することは可能なのか。元航空管制官のタワーマンさんの著書『航空管制 知られざる最前線』(KAWADE夢新書)より、一部を紹介する――。

■滑走路上の衝突事故は過去にも起きていた

 2024(令和6)年1月2日、羽田空港の滑走路上で発生した航空機衝突事故は、滑走路上で機体が燃え上がる鮮明な映像とともに、国内外に大きな衝撃を与えました。

 17時47分頃、着陸直後の日本航空516便(乗客367人・乗員12人)と、離陸のため待機していた海上保安庁機(乗員6人)が滑走路上で衝突。機体は衝突後に激しい火災を起こしました。

 日本航空機は乗務員らの誘導により、短時間で搭乗していた全員が機体から脱出(14人が軽傷)しましたが、海上保安庁機は搭乗していた6人のうち、5人が亡くなるという大事故でした。

 航空機2機が滑走路上で衝突する事故については、濃霧のなかで大型旅客機2機が衝突し、史上最大の死者数を出した「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(1977〈昭和52〉年3月、スペイン)」、夜間の空港で離陸待ちのために停止していた機に到着機が追突した「ロサンゼルス国際空港地上衝突事故(1991〈平成3〉年2月、アメリカ)」などが広く知られています。

■「事故原因はこれ」と断定できる問題ではない

 近年における滑走路上の衝突事故としては、テネリフェの悲劇と同じく、濃霧のなかでセスナ機が滑走路に誤進入し、離陸滑走する旅客機と衝突した「リナーテ空港衝突事故(2001〈平成13〉年10月、イタリア)」以来の事故といえます。

 国土交通省が公表した交信記録によれば、出発機(海上保安庁機)のパイロットに対し、航空管制官から滑走路への進入指示や離陸許可は発出されておらず、パイロットも「滑走路手前停止位置に地上走行する」と復唱していることから、何らかの誤解、誤認があったために滑走路に誤って入ってしまったことが考えられます。

 出発を急いでいたこと、到着機(日本航空機)を認識していなかったこと、夜間の視認性の悪さ、停止線灯の不使用など、事故の引き金の1つとなった原因について、さまざまな説が飛び交っていますが、管制塔で何度も危険と対峙した経験から、表面的な情報だけで答えが出せるほど単純ではないと私は確信しています。