【ヤマハ XSR900GP 試乗】スルーしてしまった□あの頃□を取り戻せる…伊丹孝裕

AI要約

ヤマハ発動機から登場した話題のモデル『XSR900GP』に試乗。80年代へのオマージュが散りばめられ注目度高いハンドリングを体験。

作者がバイク歴を振り返り、レーサーレプリカに乗る機会を逃した過去を語る。

現在はスーパースポーツが主流であり、過去の遊び方が合わなかった作者の苦悩が描かれる。

【ヤマハ XSR900GP 試乗】スルーしてしまった□あの頃□を取り戻せる…伊丹孝裕

ヤマハ発動機から登場した話題のモデル『XSR900GP』(143万円)に試乗。80年代へのオマージュがそこかしこに散りばめられ、□あの頃□を知る世代はもちろん、若者からの注目度も高い最新スポーツヘリテイジのハンドリングとは。

これまでバイクは散々買い、がんがん乗り、色々なところへ行き、時々壊し、それらが全然夢にも思っていなかった今の仕事になった。ツーリングもカスタムもレースもオンもオフもひと通りこなし、まあまあたっぷり遊んでこられたなぁ、と振り返ることができるのだけど、わりとすっぽり抜け落ち、本来通過すべき時にスルーしてしまったことがひとつある。「レーサーレプリカに乗って峠を攻める」というやつだ。

1987年に普通2輪、当時でいうところの中免を取ったから、世の中は空前のレーサーレプリカブームだった。なのに、燃費優先で『メイト90』に乗ってキャンプ旅に出かけ、0.1ps差に一喜一憂していたスポーツスクーター全盛期を横目に『アドレス50』で大人を気取り、高校を卒業すると『DR250S』でモトクロスごっこにはまり、それと並行して『TDR80』でスーパーバイカーズ遊びをかじった。

なんというか、その一々がメインストリームからはちょっとずつ外れていて、『NSR250』にも『TZR250』にも触れず、ロスマンズカラーもマルボロカラーも見て見ぬふり。ツナギの上からトレーナーを着ることもなく、ヘルメットの後ろから尻尾を生やすこともなく、そうこうしている間にレーサーレプリカの時代が終わっていた。なので、同世代がなにかにつけて語り出し、しかしあまりに盛り過ぎていて、原形をとどめていないような走り屋武勇伝も持ち合わせていない。

レーサーレプリカはいつしかスーパースポーツと呼ばれるようになり、ニーハンやヨンヒャクのハイスペックモデルは、ほぼ絶滅した。だからといって、200ps級のリッターマシンを公道で振り回すのは、倫理的にも肉体的にも経済的にも現実的ではなく、その手の遊びとはすれ違い続けたまま、五十路を過ぎてしまった。