《推定年俸1億円で納税額は1.2億円?》槙原寛己氏が指摘する「桑田真澄の年俸は公称より高かった」説は本当か 1998年の“逆転現象”を解き明かす

AI要約

元巨人の槙原寛己が、桑田真澄の推定年俸と納税額が比例しないことについて語る。

槙原寛己、桑田真澄、斎藤雅樹の3人の推定年俸が競い合った時代のエピソード。

高額納税者公示制度が導入されたことで、プロ野球選手の推定年俸がより注目されるようになった。

《推定年俸1億円で納税額は1.2億円?》槙原寛己氏が指摘する「桑田真澄の年俸は公称より高かった」説は本当か 1998年の“逆転現象”を解き明かす

 プロ野球選手の“推定年俸”はどこまで正しいのか──。YouTube「デーブ大久保チャンネル」に出演した元巨人の槙原寛己が現役時代を振り返り、当時の高額納税者公示制度と照らし合わせながら、現役時代の同僚・桑田真澄の推定年俸と納税額が比例しないことについて語った。

「(桑田は1995年からの)2年間ほぼ一軍で投げてないのに、(納税額が)発表された時に俺の上にいたんだよ。俺よりも給料の公示(推定年俸)が全然下だったのに」

 桑田は本当に槙原より“年俸”が上だったのか。検証してみよう──。(敬称略)

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 1980年代後半から1990年代にかけて、巨人には斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己という先発3本柱がいた。1989年には斎藤20勝、桑田17勝、槙原12勝と3人で49勝を挙げ、日本一の原動力になり、1994年には同率で最終戦を迎えた中日との「10.8決戦」では槙原、斎藤、桑田のリレーで巨人が優勝。日本シリーズでは槙原が2勝を挙げて、MVPに輝いている。3人はいずれも高卒ドラフト1位で槙原は1981年、斎藤は1982年、桑田は1985年に指名されている。

「3人は年俸でも競っていました。1989年の成績が反映される1990年の推定年俸では槙原が6840万円、桑田が5040万円、斎藤が4500万円です。当時は1年の活躍だけでなく、実績も重視されたため、槙原が1位でした。しかし、同年に斎藤が2年連続20勝したため、翌1991年は8400万円でトップに躍り出ます。その後、1992年は桑田、1993年は斎藤、1994年は槙原と目まぐるしく入れ替わっています。槙原の1位返り咲きは、1993年オフに導入されたFA権の行使が大きかった」(スポーツライター)

 7月3日に更新されたデーブ大久保のYouTubeチャンネルでは、〈最終話 【三本柱】桑田の年俸が何故俺より高い〉というタイトルで、ゲストの槙原が喋っている。巨人でバッテリーを組んだ大久保博元が「他の選手の年俸気になったんですか?」と聞くと、槙原は「気になったね」と答え、かつて国税庁が発表していた高額納税者公示制度に触れた。今では馴染みが薄くなっているが、2004年分までは毎年発表されていた制度である。

「もともと、第三者による脱税情報の通報を目的として1947年に導入されました。1982年までは申告所得額、1983年以降は所得税額が1000万円を超える人の名簿が公示されていました。スポーツ紙などがそれを調べ、芸能人部門やスポーツ部門に分けてランキングを作成し、毎年大きな話題になっていました。『長者番付』という別名で知られています」(ベテラン芸能記者)

 プロ野球選手はオフの契約更改で、来季の推定年俸が報道される。だが、公表額が必ずしも実際の年俸とは限らない。当時の長者番付は、“推定年俸”が本当かどうかを見極める1つの材料にもなっていた。