“ロシアのジムニー”こと「LADA NIVA(ラーダ・ニーヴァ)」 1年1万キロで手離した《面倒臭っ!》日記

AI要約

1977年に登場したLADA NIVAは、革新的な設計を持つ旧ソ連唯一のSUVであり、日本でも人気を博した。

しかし、新車を購入しようとした際にマウンティングを受け、業者とのやり取りに面倒を感じて諦めた。

その後、業者からのしつこい営業に怖気付いた筆者は別の業者を探すことにした。

“ロシアのジムニー”こと「LADA NIVA(ラーダ・ニーヴァ)」 1年1万キロで手離した《面倒臭っ!》日記

黒いフロントグリルに丸目、左右のライトの上部には眉毛のようにウインカーが配された、なんとも愛らしいルックスのLADA NIVA。

旧ソ連時代の1977年に登場し、当時としては革新的な構造を持つ旧ソ連唯一のSUVでした。ベースとなったのがフィアット124でもあり、多くのフィアットファンの間でも特別視される一方、2速の副変速機を搭載するなど本格的なフルタイム4WD車として、後のSUV車の設計に大きな影響を与えたモデルでもあります。

日本の自動車シーンになぞらえば、まさにジムニーのような存在のLADA NIVAですが、1980年代には日本にも輸入されマニアの間でコアな人気を誇りました。

旧ソ連崩壊後のロシアになってもLADA NIVAはマイナーチェンジをするのみで生産され続け、2010年代以降は、一部の日本の業者がEU仕様のLADA NIVAを並行輸入。「あのLADA NIVAが新車で入手できる」とあり、SUVファンの間でおおいに話題になりました。

フィアットなどのイタリア車が好きな一方、ジムニーなどの小さな四駆も大好きな筆者。今から7年ほど前の2016年、直近で乗っていたフィアットパンダ4×4を売却にすることに決め、この「新車のLADA NIVA」に乗り換えることにしました。

まずは、LADA NIVAを積極的に並行輸入している業者に問い合わせ。この業者は、正規では日本で走っていないEU車を多く輸入しており、筆者は興味を抱いていました。

しかし電話口でLADA NIVAの話をすると「ああ。ヤメたほうがいいですよ」とピシャリ。続けて「電話で問い合わせするくらいなら、LADA NIVAに乗る資格はないですよ」とも。売るべき立場の業者なのに、何故か意思を全否定。

前時代のマニアックな乗り物の世界では「売るほうが偉い」ようにも映るマウンティングがよくあり、「下の立場」となった買い手は、業者に気を使いながら乗り物を購入。そして、所有後もさらに気を使いながらショップに出入りさせてもらう…みたいな構図がありました。

怖い寿司屋に行き、板さんの顔色をうかがいながら寿司を口にし「…うまい。さすがだ」と唸るみたいな感じです。筆者はこういうやり取りを「面倒臭っ!」と思うほうなので、業者の否定を受けすぐに「わかりました。じゃあヤメますね」と電話を切りました。

すると5分も経たぬうちに、その業者から続々と着信が…。

筆者にマウンティングが通用しないとわかったのか、手の平を返しての営業が予想されたため無視。しかし、翌日も朝イチからガンガンと着信。怖くなった筆者は着信拒否をし別の業者を探すことにしました。