国枝慎吾がパラで「金メダル4回」を叶えたメンタルの鍛え方~こうして車いすテニス界のレジェンドになった~
国枝慎吾さんが「オレは最強だ!」と唱え続けて世界トップになったメンタルトレーニングの秘密が明かされる。
2006年に全豪オープン出場を機に行われたカウンセリングで、アン・クインによるセッションが重要な役割を果たした。
国枝さんの自著『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』からの抜粋を通じて、初めて知ることができる国枝さんの成功の背景に迫る。
「オレは最強だ!」
グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多優勝を達成し、「車いすテニス界のレジェンド」と称される国枝慎吾さんが、試合中に唱え続けたフレーズだ。この言葉には、国枝さんを世界一に導いた重要な秘密があった――。
世界一の選手を支えたメンタルトレーニングとは? 初の自著『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』から一部抜粋・編集して紹介する。
■始まりは2006年
言霊は、人間の潜在力を目覚めさせる。
国枝慎吾を世界のトップに導いた有名なフレーズがある。
「オレは最強だ!」
この言葉はいかにして生まれたのだろうか?
2006年1月の全豪オープン出場のためにオーストラリアに渡った国枝は、ほかの日本人選手とともに試合会場の一角でアン・クインのカウンセリングを受けることになった。
その前の年の11月、国枝が拠点にしていた千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)が講師として招いたのが、アンだった。メンタル面をはじめ、フィットネスの原理、栄養、コーチの心構えなど、セミナーのテーマは多岐にわたった。
全豪オープンでのカウンセリングは、個別の面談になった。当時の国枝は英語を聞き取るスキルが十分ではなかった。アンの英語はかなり早い。論理的にポンポンと早口でたたみかけてくる。
国枝は明かす。
「アンの話す英語のうち、自分で理解できていたのは、2割、もしくは3割程度でした」
■「オレって……世界ナンバーワンになれますかねえ」
通訳として同席していたのが、吉田仁子だった。1975年ウィンブルドン選手権でアン清村と組み、女子ダブルスを制した沢松(現・吉田)和子を母に持つ。
吉田は物心ついたころからラケットを握り、米国の大学に進んだことで英語も堪能だったため、うってつけの人選だった。TTCの理事長であった父、宗弘の指示でメルボルンに派遣されていた。
ここからは吉田の記憶を元に振り返る。
プレーヤーズラウンジで、アンは問いかけた。
「何か聞きたいことはある?」
唐突な質問に、国枝は「ええ?」と戸惑いを隠せなかった。
「何でもいいから」
吉田に促されて、恐る恐る、聞いた。