最初期のVW「ビートル」には、ナチス時代のドイツ労働戦線の名残も!「多幸感」あふれる走りは不運を乗り越えたからこそ【旧車ソムリエ】

AI要約

フォルクスワーゲン「タイプ1」、通称「ビートル」の歴史や特徴について紹介。

ビートルのモデル概要と改良の歴史、生産された時代背景について解説。

ビートルの国内外での人気や文化的影響、日本での受け入れについて触れる。

最初期のVW「ビートル」には、ナチス時代のドイツ労働戦線の名残も!「多幸感」あふれる走りは不運を乗り越えたからこそ【旧車ソムリエ】

「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回は、「スプリットウインドウ」と呼ばれる最初期のフォルクスワーゲン「タイプ1」、通称「ビートル」を主役に選び、そのモデル概要とドライブインプレッションをお届けします。

自動車史上最高の名車のひとつと称賛されるフォルクスワーゲン「タイプ1」、いわゆる「ビートル」は、もともとナチス政権の国民車構想としてスタートしたもの。しかもドイツ国民から募った積立金を資金に生産する計画もあっけなく反故にされ、すべて軍用車に転用されてしまうという悲しい歴史を背負っていながらも、第二次大戦の終結後には大衆の貴重な交通手段として、戦争で荒廃したヨーロッパ全土の復興のために大いに活躍したのは、もはや誰もが周知のストーリーといえよう。

国民車「KdFヴァーゲン」として1938年に発表されて以来、2003年をもってメキシコでの生産を終えるまでに、じつに65年もの長きにわたって生き長らえたVWタイプ1ビートルは、その間基本的なスタイルこそ不変だったものの、そこはドイツ車らしく、目まぐるしく改良が施されてきた。

まずは戦後間もない1945年、イギリス軍の管理下で生産開始された際には、KdF時代から受け継いだ985ccの空冷フラット4エンジンを搭載したが、すぐ1131ccに拡大。1954年からは1192ccに拡大した「1200」となる。

いっぽうボディについても、最初期モデルは左右2分割式のリアウインドウ(通称「スプリットウインドウ」)を与えられていたが、1953年モデル以降はセンターの支柱が取り払われた「オーバルウインドウ」に進化。さらにこの後、1958年モデルでは後窓は四角く大型化され、「スクエアウインドウ」と呼ばれる。

まずは西ドイツ国内から販売がスタートしたVWタイプ1は、戦後復興の大きな助けになってゆく。1947年にはオランダを皮切りに輸出も開始され、戦後のインフレも相まって事実上の壊滅状態にあった西ドイツ経済に、貴重な外貨をもたらしたという。

とくに最大の輸出先アメリカ合衆国では、広告業界に革命をもたらしたともいわれる広告代理店「DDB」社の斬新な広告展開もあって爆発的な人気を博しただけでなく、ある種の自由のシンボルとして評価を受け、本国ドイツとはまったく異なる、アメリカ独自の「VW文化」を形成するに至った。

また、極東のわが国にも大量上陸を果たしたVWビートルは。当初は2ドア車ながらタクシーとしても使用されるなど、日本の初期モータリゼーションの構築のために絶大な役割を果たしている。

そのかたわら、子どもたちからは「かぶとむし」と愛称され、「ワーゲンを3台見ると、なにか良いことがある」といった可愛らしいジンクスが日本全国の小学生の間で流行するなど、生活ツールとしての自動車の域をはるかに超えた、特別な愛情の対象にもなっていたのだ。