「織田信長と武田信玄」明暗を分けた真逆の税政策、戦国時代は領主による「税の奪い合い」が横行していた

AI要約

戦国時代には、脱税だけでなく「奪税」の状態が横行し、豪族や有力者が勝手に税を徴収していた。

荘園領主の弱体化により、荘官や地頭が実質的な領主となり、税の仕組みが複雑化し、農民の中間搾取が増えた。

守護や守護大名の台頭により、農民に対する納税負担が増加し、段銭という追加の税が課せられるようになった。

「織田信長と武田信玄」明暗を分けた真逆の税政策、戦国時代は領主による「税の奪い合い」が横行していた

「大化の改新」「源平合戦」「明治維新」等々、歴史の大きなターニングポイントには、必ずと言っていいほど脱税問題が絡んでいる、と語るのは元国税調査官の大村大次郎氏。

大村氏は、「脱税」だけでなく領主たちによる税の奪い合い「奪税」が横行していた戦国時代の覇者・織田信長の力の源泉もやはり「税」だったと指摘します。

※本稿は、大村氏の著書『脱税の日本史』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

■税の奪い合い「奪税」になっていた戦国時代

 戦国時代には、幕府や朝廷への納税はほとんど機能していませんでした。「では誰も税を払わなくていいか」というと、そういうことではなく、各地の有力者や豪族が勝手に税を徴収していたのです。

 戦国時代は脱税だけではなく、「奪税」の状態になっていたのです。

 室町時代後半から戦国時代にかけての年貢は、複雑な仕組みとなっていました。当時、日本の農地の大部分は荘園となっていましたが、本来、荘園というのは荘園領主が持ち主でした。荘園領主というのは、自分の領地から遠く離れて住んでいることが多く、実際の管理は荘官や地頭に任されていました。そのうち、荘官や地頭の力が強くなり、彼らが実質的な領主になっていったのです。

 そうなると、どういうことが起きるでしょうか? 

 本来の荘園領と、荘官や地頭が「二重」に税を取るような事態になるのです。「二重」とまではいかずとも、税の仕組みが複雑になり、農民は余計な税負担を強いられることが多々あったのです。つまり、中間搾取が増えていったのです。

 室町幕府は、各地に守護を置いていました。守護は本来、中央政府から任命された一役人にすぎませんでした。ところが、中央政府が弱体化すると力をつけていき、実質的にその地域を治めるようになっていったのです。

 それが守護大名と言われる者です。さらに、その守護大名の力が弱くなって、その地位を奪う戦国大名が出現してきました。

 これも農民にとって負担が増える要因になりました。農民は荘官に年貢を払うだけでなく、守護にも「段銭(たんせん)」という形で税を取られるようになりました。段銭というのは、農地一段(一反)あたりに課せられる租税のことです。もともとは戦争時などに臨時的に徴収されたのが始まりですが、戦国時代には半ば常態的に取られている地域もありました。