ケンメリGT-Rについて解説! わずか195台しか販売されなかった理由とは

AI要約

4代目スカイラインは1972年に登場し、ケンメリと呼ばれる恋人のコマーシャルで話題を集めた。

GT-Rモデルの追加やレース活躍により多くのファンを獲得したが、生産中止となった。

ケンメリGT-Rは高い走行性能を持ちながらも公害問題やオイルショックの影響で幻のGT-Rとなった。

ケンメリGT-Rについて解説! わずか195台しか販売されなかった理由とは

3代目からフルモデルチェンジにより1972年9月に登場した4代目スカイライン。TVコマーシャルに恋人としてケンとメリーなる人物を登場させ話題を集めたことで、「ケンメリ」と呼ばれるようになりました。

4代目の登場から約1年後の1973年1月、ハコスカに設定されレースで大活躍した2000GT-Rが追加されます。

サーキットで通算50勝を実現し、多くの熱狂的ファンを抱えることになったスカイラインは4代目にもL20T型2リッター直6エンジンを搭載するスポーツモデルの2000GTや、2000GT-XをラインアップしていましたがGT-Rは別物。ファンからの熱い要望を受け、ケンメリGT-Rが登場したといっても過言ではないでしょう。

4代目スカイラインの2ドアハードトップをベースに開発されたケンメリGT-RはハコスカGT-RからS20型エンジンを引き続き搭載し、ほかのスカイラインファミリーにはない四輪ディスクブレーキを装備するなどGT-Rらしさを備えてデビュー。熱狂的ファンから圧倒的な支持を集めます。

一方、ハコスカGT-Rと比べてホイールベースが40mm延長されたことや45kg重くなったことで、スポーツカーとしてはマイルドになったとの声も……。

とはいえ当時の国産車において、圧倒的な走行性能を備えていたことは事実。グランツーリスモとして高い資質を備えたクルマに仕立てられていました。

ちなみに、ケンメリGT-Rの登場に先駆け1972年の東京モーターショーでレース仕様のケンメリGT-Rプロトタイプが出典されていますが、日産のワークス活動停止やベースとなるケンメリ自体が大きく重くなったことでレース参戦の予定はなかったとのことです。

高い走行性能を有していたケンメリGT-Rですが、公害問題に対応する排出ガス規制やオイルショックの影響を受け、デビューから4カ月後に生産中止。幻のGT-Rとなったのです。