マツダ323ことファミリアはグループA時代のWRC日本車ウィナー第1号!35年35万kmのGT-Aeは新車ワンオーナーのファーストカー!?

AI要約

1980年代初頭、マツダがWRCに参戦した歴史を紹介。

マツダ323/ファミリアのグループAマシンの活躍や性能の変化を振り返る。

ベースモデルのファミリアが進化し、1986年からWRCでの成功を収めるも1992年に撤退。

マツダ323ことファミリアはグループA時代のWRC日本車ウィナー第1号!35年35万kmのGT-Aeは新車ワンオーナーのファーストカー!?

2023年10月に新たなラリーファンイベントとして開催された『ラリーファnミーティング2023』。会場ではオーナーミーティングも行われ、ラリーに縁のあるオーナーカーが多数並んだ。その中に往年のマツダワークスカラーを纏ったファミリアを発見!グループAマシンの中でも今や貴重なファミリアのオーナーを直撃した!

REPORT:橘 祐一(TACHIBANA Yuichi) PHOTO:橘 祐一(TACHIBANA Yuichi)/MAZDA

最近のマツダといえば、SUVをメインにしたおしゃれな自動車メーカーというイメージが強く、モータースポーツ活動を行っていることすら知らない人もいるかもしれない。かつては「マツダスピード」というメーカー直径のモータースポーツ関連会社が存在したが、現在ではパーツのブランド名としてその名が残るのみだ。今やモータースポーツとは関係が薄そうなマツダだが、今から30~40年前にはWRC(世界ラリー選手権)で大活躍していたことをご存知だろうか。

1980年代初頭、のちにジャガーと組んで耐久レースやスーパーカーを手がけるTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)と提携してサバンナRX-7(SA22C)をベースにしたグループ2マシンを製作。1981年、1982年のRACラリーに出場している。

マツダのラリー活動としてはこれが最初となるが、TWRのラリー活動はイギリス国内に限られている。このTWRチームと並行して、1981年「マツダ・ラリーチーム・ヨーロッパ」を結成し、国際的なラリー参戦に向けて活動を開始した。最初のラリーカーとして選ばれたのは、マツダ323、日本名・ファミリアだった。

マツダ323として二代目、ファミリアとしては五代目となるBD型で、日本ではサーファーに人気だったコンパクトハッチバック。ラリーカーは出力80psの1.3Lの直列4気筒NAエンジンを搭載し、グループAクラス5のカテゴリーに出場。ラリー・モンテカルロでグループAでは3位、5位、クラス5ではクラス1位、2位を獲得している。1985年には1.5Lエンジンに変更、さらにその年途中からはターボエンジンを投入している。

1985年1月、ファミリアがフルモデルチェンジされ、六代目のBF型が登場。トップグレードとなるGT-Xには、1.6L直列4気筒DOHCターボエンジンが搭載され、日本初のフルタイム4WD機構が採用されていた。さらにこのGT-Xをベースに、リヤにビスカスカップリングLSDを採用した、競技ベース仕様のGT-Aもラインナップされていた。

WRCには1986年の第2戦、スウェディッシュラリーからBF型が投入された。新たに採用されたDOHCターボのB6型エンジンは260psを発生。1987年からはフィンランド人ドライバー、ティモ・サロネンを起用し、スウェディッシュラリーで総合優勝を飾る。

マニファクチャラー・チャンピオンシップは6位を獲得。1988年はマニファクチャラーで4位、1989年にはスウェディッシュとニュージーランドで2勝を挙げるもののマニファクチャラーでは3位に終わる。ランチアやトヨタ、三菱とライバルが軒並み2.0Lターボを採用し、パワーの差が歴然となっていた。

その頃、ベースとなるファミリアがフルモデルチェンジとなり、上級グレードのGT-Xは1.8LのBPエンジンに変更。1990年からWRCにも新型を投入。この年からは新人トミ・マキネンを起用しているが、マシンの不調により思った結果が残せず。1992年にはパワーアップしたGT-Aが市販され、WRCにも投入予定だったが、バルブ崩壊による影響によりマツダがWRCから撤退することになり、GT-AがWRCに投入されることはなかった。