生産を継いだのはリッチな「日本人」 ミドルブリッジ・シミターGTE(1) 王女ご愛用スポーツワゴン

AI要約

アン王女が所有していたスポーツワゴン、シミター GTEの歴史と人気について

リライアント・シミター GTEの特徴や成功の背景、他メーカーの影響について

アン王女がリライアント社の車両を好んで所有していたこと、他の車種も運転していたエピソード

生産を継いだのはリッチな「日本人」 ミドルブリッジ・シミターGTE(1) 王女ご愛用スポーツワゴン

英国王室にまつわるクラシックカーは少なくない。だが、アン王女が運転したスポーツワゴンほど、英国人の記憶に刻まれたモデルは多くない。

新車で購入し、2023年まで王女が所有していたGTEは、ミドルブリッジ・シミター社によって製造された79台のうちの1台。オリジナルは、リライアント社が製造していたシミター GTEながら、大幅な改良が施されていた。

王室の家系の1つ、ウィンザー家との結びつきは、アン王女以前から始まっている。1965年に、デザインハウスのオーグル・デザイン社とガラス製造業のピルキントン社による協業で、リライアント・シミター GTSが製作されたのがきっかけだった。

その年のイタリア・トリノ・モーターショーへ出展されると、アン王女の父、フィリップ王配の目にとまったらしい。個人的なクルマとして、このスポーツワゴンのプロトタイプが貸し出され、2年ほど運転されている。

その間に20歳の誕生日を迎えたのが、アン王女。プレゼントに欲しいクルマを尋ねられた時、彼女が希望したのが、そのシミター GTSだったというわけ。

量産モデルとして、リライアント・シミター GTEは1968年に発売される。プロトタイプの特長だった、ガラスルーフは省略されていたが。

大きなテールゲートを備え、ルーフ後端が跳ね上がり、シルエットはスポーティ。コーチビルダーが手掛けた特殊なシューティングブレークを除いて、史上初となる2ドアの量産スポーツワゴンといえた。

スタイリッシュなスポーツワゴンは、新しい市場を創出。リライアントとしては成功作となり、ベースになったシミター・クーペは1970年に生産が終了されるほどだった。

他の自動車メーカーも、このカテゴリーの可能性へ着目。ボルボは1800ESを、ロータスはエリートを、ランチアはベータ HPEをリリースした。規模の小さいジェンセンも、GTを開発している。

優れた実用性と動力性能を両立させ、英国の富裕層の間でシミター GTEの人気は高かった。TV番組の司会者、ノエル・エドモンズ氏や、俳優のウィリアム・ローチ氏といったセレブも所有していた。

落ち着いたスタイリングをまとい、派手な印象を市民に与えたくない、英国王室にとっても理想的だった。もっとも、最高出力は150psと控えめでも、0-97km/h加速を7.5秒でこなす俊足。アン王女は、何度もスピード違反で捕まっているが。

彼女は、このスポーツワゴンを相当に気に入っていた。20歳のプレゼント以降、1973年には2台目を購入。それも距離が伸びると買い替え、最終的に8台を乗り継いでいる。

むしろ王女は、リライアントというメーカーが好きだったようだ。横転することでも知られる、3輪自動車のロビンも所有し、メディアで度々紹介されている。

グレートブリテン島南西部にある別荘、ガットクーム・パーク・レジデンスでは、小さなステーションワゴン、リライアント・キトゥンを運転していた。これも複数台が購入され、農作業の移動手段にしていた。