消滅可能性自治体の逆いく流山市 少子高齢化を脱した秘密は市長のマーケティング戦略

AI要約

流山市は少子高齢化問題に悩んでいたが、最近は人口増加率が1位となるなど注目を集めている。

市長の井崎氏は流山市の可能性を最大限に引き出すために市長に就任し、変革を目指す姿勢を見せている。

流山市が自立持続可能性自治体の一つに選ばれた背景や、市の様相の変化、市長が市に求める目標について話題になっている。

消滅可能性自治体の逆いく流山市 少子高齢化を脱した秘密は市長のマーケティング戦略

「消滅可能性自治体」という言葉が最近、話題になりました。若年女性の人口減と、それに伴う出生数の著しい低下に直面している自治体のことで、最新のデータでは、全国の自治体の4割が該当するといいます。そんな中、千葉県流山市は2050年になっても人口減少が20%未満に留まり、100年後も持続している可能性が高いとされる「自立持続可能性自治体」の一つに選ばれました。実際子どもは増え続け、人口増加率が全国の市の中で6年連続1位となるなど、海外メディアからも注目されています。筆者も流山で生まれ育ちましたが、当時はほかの自治体同様、少子高齢化問題に悩んでいました。ここ20年あまりでいったい何が起きたのか。市長の井崎義治氏に聞きました。(聞き手・長谷川菜奈)

千葉県流山市長

東京都杉並区出身。千葉・柏市育ち。立正大学を卒業後、米国サンフランシスコ州立大学で修士取得。米国でコンサルティング会社に就職し、都市計画などに携わる。日系コンサル企業転職のため帰国し、流山市に移住。2003年に流山市長に就任し、子育て政策などを推進する。70歳。

――流山市長になった当時と現在、まちの様相は大きく変わりましたね。

そうですね。緑豊かな「良質な住環境」「快適な都市環境」が整うまちに変貌してきました。でも、私が思い描く目標は、日本はもとより、海外でも「流山って、住みやすいまち」と言われる、多様性に富み、市民が良質で健康的な生活を送れる「住み続ける価値の高いまち」を目指しています。

――そもそも、流山出身ではないのに、流山市の市長に立候補したのはなぜですか?

約35年前、私がアメリカの都市計画コンサルタントで働いていた時、私の妻から渡された日本での求人広告で、日本企業が新たに都市政策や都市計画の研究所を新設すると知りました。自分のやってきたことを活かし、やりたいことが出来そうだと考え、応募し、採用されました。

日本帰国が決まり、居住地探しの中で、緩やかな起伏のあり、安全な子育てができ、将来性のある地域として、流山市を選びました。

当時、つくばエクスプレス(以下、TX)が計画中でしたので、将来性の高いエリアだと考えました。

私は仕事柄、流山市も含めて各地域のさまざまなデータにアクセスすることができましたので、流山市の社会・財政データを見たところ、低下、悪化を示していました。

私が将来を託した流山市ですが、まちとして可能性はあるのに、引き出す仕組みができていないため、衰退モードに突入していたのです。

私が市長になる5年前、「これから発展する街、衰退する街」という本を著した時、流山市の二つの危機を明確に認識しました。その危機を回避し、流山市の可能性を顕在化する手段として市長に立候補しようと思いました。