パリを制したミシュランシェフ小林圭が狙う次の舞台は日本

AI要約

フランスで名声を得た、フレンチシェフの小林圭。食事に訪れる客にまで自分のポリシーを押し付けようとする彼が目指すのは、自身が「ブランド」になることだ。

料理はタイミングがすべて。フレンチシェフの小林圭(46)は、それを忠実に再現する。一品を出すところで食事客がトイレに向かおうとすれば、引き止めることも辞さない。生理的欲求は待てる場合があるが、彼が提供する料理には最高の味を堪能すべきタイミングがある。

2020年、レストランKEIでミシュラン最高峰の三ッ星を獲得した小林はこの2年弱、故国の日本で新たにレストランを4店開き、自らの野心を次々と実現させてきた。

パリを制したミシュランシェフ小林圭が狙う次の舞台は日本

フランスで名声を得た、フレンチシェフの小林圭。食事に訪れる客にまで自分のポリシーを押し付けようとする彼が目指すのは、自身が「ブランド」になることだ。そんな小林が、母国の日本で新たな挑戦に挑む。

料理はタイミングがすべて。フレンチシェフの小林圭(46)は、それを忠実に再現する。一品を出すところで食事客がトイレに向かおうとすれば、引き止めることも辞さない。生理的欲求は待てる場合があるが、彼が提供する料理には最高の味を堪能すべきタイミングがある。

食事客にそこまで要求する厚かましさと頑ななまでの姿勢は、フランス修行時代の師匠のひとりから学んだ言葉、「シェフは王さま」そのものだ。小林がオーナーシェフを務めるパリの店「レストランKEI」は日本人シェフとして初めて、フランス版「ミシュランガイド」で三ッ星を獲得した。

東京で取材に応じた小林は、「それくらいの世界観がなければ、シェフを名乗る資格はありません」と言い切る。

2020年、レストランKEIでミシュラン最高峰の三ッ星を獲得した小林はこの2年弱、故国の日本で新たにレストランを4店開き、自らの野心を次々と実現させてきた。

小林は、「ひとかどのブランドになるのが目標」だと宣言する。その意味では、アラン・デュカスを手本としているように見える。実際、小林は2011年に独立する前まで、当時デュカスが統括していたパリの高級ホテル「プラザ・アテネ」内のレストランで働いていた。

彼には、草間彌生や村上隆といったアーティストとも共通項がある。いずれもクリエイティブな分野において、母国より先に海外で初めて名声を得た日本人だ。

フレンチの料理技法を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとするのは、もはや日本のお家芸だ。東京には世界最多のミシュラン星付き飲食店がひしめく。ミシュラン三ッ星を獲得した12店のうち、4店がフレンチ専門レストランだ。

小林は、「フランスの食は、日本の旬の食材を活かせばもっと進化できる」と話す。そのわずか数時間後、彼の姿は虎ノ門ヒルズ ステーションタワー最上階「東京ノード」に出店した「KEI Collection PARIS(ケイ・コレクション・パリ)」の公式オープニングの場にあった。

この新しいレストランで彼は、カレーとビーフカツといった日本の家庭の味を彷彿させるメニューを忍ばせている。その一方で「大蛤の海藻バター焼き」「鰹のフュメ フロマージュブラン(フレッシュチーズ)のエスプーマ」「中トロ キャビア 手巻き寿司」といった極上の品も提供する。

小林は、髪をプラチナブロンドに染め、黒ズボンの上にミシュランの三ッ星が刺繍されたダブルの白コートという伝統的なシェフの正装に、ニューバランスの緑のスエードのスニーカーを履いて店のオープニングに現れた。手首にはオーデマ・ピゲの腕時計が巻かれていた。

小林は、料理法を極めたと考えることを決して自分に許さなかったと控え目に語る。だが謙虚な言葉とは裏腹に、やや超然と見下ろしているようにも見えた。その妥協を許さない態度を体現する言葉が、小林お気に入りのフランス語にある──「Aller plus loin(もっと先へ)」だ。

「妥協すること、つまり『これでいい』と思うようになったら、それが辞めどきです」