ルーブル美術館を楽しめるのは「フランス革命のおかげ」と知っていますか……意外と知られていない、フランス革命の「多面性」

AI要約

フランス革命による破壊と美の尊重について

ノートルダム大聖堂の破壊と修復に関する歴史的な出来事

フランス革命がもたらした法の下の平等や人権意識について

ルーブル美術館を楽しめるのは「フランス革命のおかげ」と知っていますか……意外と知られていない、フランス革命の「多面性」

パリの名所としてもっとも有名なルーブル美術館も、元をたどればフランス革命に行きつきます。

フランス革命がもたらしたものは、法の下の平等、自由の観念、人権意識だけではありません。そこには、破壊と、美の尊重もありました。

【本記事は、『物語 パリの歴史』(高遠 弘美著)より抜粋・編集したものです。】

ロベスピエール派の活動家が続けて処刑され、フランス革命が事実上の終結となったあと、1795年には革命裁判所が廃止され、国民公会も解散。総裁政府が成立し、ナポレオンが歴史の表舞台に登場してきます。

その前にいくつか書いておきたいことがあります。

啓蒙と理性の時代と言われる18世紀に起こったフランス革命には理性とは逆行する無知と暴力の側面もあまた見られました。それは恐怖政治に限られたことではありません。

2019 年4 月、パリのノートルダム大聖堂が火災に遭い、19 世紀にヴィオレ・ル・デュクが修復した中央の尖塔が崩壊するという事故がありました。しかし、ノートルダム大聖堂はフランス革命の時にかなりの部分が損壊していました。理性の時代にあって、人々の信仰が薄れていったということもあるでしょう。壊れていても修復しようという熱意はなかなか見られなかったのです。

それには第一身分とされた聖職者が特権を享受するばかりで、民衆の側に立つ姿勢が見られなくなったという理由もあります。教会は頼るべき存在から、排斥すべき対象へと変化しつつあったとも言えます。人々の篤い信仰を集めていたノートルダム大聖堂すら破壊を免れませんでした。

ノートルダム大聖堂の西正面入り口上部には28 体の彫像からなる「王のギャラリー」がありましたが、倒すべき王権の象徴ということで壊されました。

「王のギャラリー」は、歴代のフランス国王の像という説と、イエスの先祖に当たるユダヤの王たちという説、さらには二つを重ねることで王権と教会権の融合を目指したという説がありますが、これについては40 ほど前に驚くような発見がありました。

1977年、パリ市内の銀行の修復工事中に発見された石棺から、364個もの彫刻の破片が見つかり、調べてみると、そのなかに「王のギャラリー」の彫像の頭部が21体分あったのです(それらはクリュニー中世美術館に所蔵されています)。

革命時のノートルダム大聖堂はそのように破壊されただけではなく、壁も一部は剥落状態にありました。1804 年、ダヴィッドが描いているナポレオンの戴冠式が大聖堂で挙行されたときは、壁にタペストリーをかけて惨状を覆い隠したということです。

もちろん、すべてが破壊だったわけではありません。法の下の平等も自由の観念も友愛精神も人権意識も、恐怖政治という苛酷な代償を払いながらフランス革命を通じて人々の意識に刻み込まれ、やがては民主主義と理性というヨーロッパ精神の根柢を作っていったのですから。