信長・秀吉・家康が手にした「大名物」から国宝まで茶道具の最高峰が丸の内でお披露目

AI要約

静嘉堂コレクションの茶道具を披露する展覧会が開催中。

茶入の素晴らしさと由来に焦点を当てた展示。

大名物の茄子茶入の歴史や修復の物語が紹介されている。

信長・秀吉・家康が手にした「大名物」から国宝まで茶道具の最高峰が丸の内でお披露目

 日本の美意識、ここに極まれりだ。日本有数の茶道具コレクションを惜しげなく披露する展覧会が、東京・丸の内の静嘉堂@丸の内 で開かれている。特別展「眼福 ―― 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」。

 静嘉堂コレクションとは、三菱第二代社長の岩﨑彌之助と四代社長の岩﨑小彌太、父子二代によって創設・拡充されてきた、古典籍と古美術品のコレクションである。2022年から丸の内に展示の場が設けられ、優品を常時展観できるようになった。

 今回はそうしたコレクションのなかから、茶道具に着目して展示が構成されている。明治から昭和にかけて、彌之助と小彌太が蒐集した茶碗や、香を入れる香合などが並ぶ。

 どれも由緒ある品々だが、とりわけ注目すべきは、一室に整然と並べられ鈍い輝きを放つ茶入だ。茶入とは、抹茶を入れておき点前に用いる陶製の小壺のこと。この善し悪しが、茶席の格を決めると言われる。

 茶入は小さいので覗き込むように端から観ていくと、まずは茶がかった穏やかな色合いの、ふくよかな形をした茶入が目に飛び込む。大名物《唐物茄子茶入 付藻茄子》。

 由緒と歴史が深い茶道具で、茶の湯の大成者・千利休以前から存在が知られる極上のものを、大名物(おおめいぶつ)という。「茄子」とは茶入の一形態の呼称で、ボディのふくらみ具合がナスに似ているからその名がつく。

 隣に目を移すと、色合いはもう少し黒みが強く、《付藻茄子》よりもさらに下膨れの形を持った、大名物《唐物茄子茶入 松本茄子(紹鴎茄子)》がある。

 何気なくちょこんと置かれた《付藻茄子》と《松本茄子》は、どちらも深みのある色と、滑らかながら素材が土であることを思わせる表面の手ざわり感を持つ。もしもさわってみることができたなら、どれほど心落ち着く体験になることかと夢想してしまう。甲乙つけがたく愛らしいとともに、強烈な存在感を帯びている。

 おもしろいのは、添えられたキャプションパネルに、詳細な「伝来」が明記されていること。読めば《付藻茄子》は、戦国武将の松永久秀から織田信長に献上された。その見返りとして松永は、大和一円の領地所有を承認・保証されたという。戦国時代には茶道具ひとつが国と同じ価値を持つこともあったという。その実例がまさにここにある。

《松本茄子》のほうは、応仁の乱を戦ったことでも知られる山名氏や、室町時代の茶人・松本珠報が所持。武野紹鴎や今井宗久ら目利きのもとを経て、織田信長、豊臣秀吉へと渡っている。非の打ち所ない経歴だ。

 ふたつの茶入は織田信長のもとを経て、同時期に豊臣家の所有となっているが、そこで悲劇が起こる。徳川家康の打ち立てた幕府と豊臣方がぶつかった1615年の「大坂夏の陣」で、どちらの茶入も戦火に巻き込まれ焼失してしまうのだ。

 ところが家康はあきらめなかった。焼け跡を探索し、名品茶道具の破片をできるかぎり見つけ出し、それらを継いで修復するよう命じた。幸い《付藻茄子》《松本茄子》とも破片の大方が見つかった。

 家康は当代一流の塗師である藤重藤元・藤巌父子に、回収された破片からもとの姿を復元せよと命じる。塗師の父子は破片を漆で繕い、いちど割れたなどと気づかれぬほど美しく甦らせた。

 それから《付藻茄子》と《松本茄子》はそれぞれ変遷を経ながら岩﨑家のもとへ流れ着き、いまこうして丸の内で展示されているわけだ。目の前の茶入がかつて信長、秀吉、家康の戦国時代三英傑の手中にあり、愛でられていたものと思えば、輝きとありがたみは倍増する。