「叫ぶミイラ」の謎とは? 浮かんだ新説、古代エジプト巡るミステリー

AI要約

古代エジプト人がミイラを作る理由と歴史について

ミイラが薬用としても使われ、欧州で高く取引された歴史

最新技術を使ったミイラ研究や現代医学への応用について

「叫ぶミイラ」の謎とは? 浮かんだ新説、古代エジプト巡るミステリー

 古代エジプト人は、なぜミイラを作ったのか。

 当時の人々は、死後の世界を信じていた。人間は死ぬと肉体から「バー」という魂のような概念に似たものが抜け出ると考えた。バーが冥界から戻った時、現世での居場所が必要になる。こうしてミイラが「発明」された。

 紀元前2680年ごろに始まったエジプト古王国時代には、すでにミイラは作られていたらしい。内臓を取り出して防腐処理し、最後に遺体を布で巻いた。

 私は2017~20年のカイロ特派員時代、ミイラに詳しい考古学者らに話を聞いて回ったことがある。中でもミイラ研究の第一人者の女性で、カイロ・アメリカン大学のサリーマ・イクラム特別教授(エジプト考古学)の話は抜群に面白かった。それは、当たり前だがミイラ一人一人にも「人生があった」という話だ。イクラム氏は今も研究を続けており、今年8月に久々に連絡を取ってみた。

 「(エジプト南部ルクソール西郊の)デル・エル・メディーナでは16年、ハスの花のタトゥーを入れた女性のミイラが見つかりました。タトゥーに魔よけの効果があると信じていたようですが、同時に花を愛した感性も伝わってきます。ミイラも元は人間でした。みんな個性を持っています。だからこそ、ミイラと向き合う研究は刺激的なのです」

 ◇開けられたままの口

 今年に入り、そんな個性的なミイラの一つに改めて注目が集まった。「スクリーミング・マミー」(叫ぶミイラ)と呼ばれる紀元前1500年ごろの女性のミイラである。ルクソール西郊で1935年に発見されたものだ。

 普通、遺体は口を閉じた状態で防腐処理される。ところが、このミイラはなぜか大きく口を開けている。

 その理由はこれまで謎だったが、英紙ガーディアンなどによると、カイロ大学のサハル・サリーム教授(放射線学)は今年、一つの説を発表した。何らかの「苦痛に満ちた死」の後、遺体がけいれんし、そのまま死後硬直を迎えたとの見方だ。ミイラを作る防腐処理人も口を閉じることができなかったという。この説は学術誌「フロンティアズ・イン・メディシン」(電子版)に発表された。

 だが、実はこうして研究対象となるミイラは貴重である。既に多くのミイラは略奪され、歴史の闇に消えてしまったからだ。墓泥棒、密輸業者、財宝ハンター、はたまた一部の学者までが数千年にわたってミイラを盗み続けた。

 なぜミイラはこれほど盗まれたのか。

 ◇信じられてきた薬用効果

 「欧州では19世紀まで、一部は20世紀に入っても、ミイラが薬用として盛んに取引されていました」。イクラム氏はそう話す。

 ミイラは英語でマミーと呼ぶが、これは天然アスファルトのビチュメン(瀝青=れきせい)を指すペルシャ語の「ムンミヤ」が語源だ。ビチュメンは黒い色をしていて、古代には万能薬として用いられた。

 肌が黒いミイラが多いことから、かつてはビチュメンがミイラに塗布されたと考えられたらしい。しかしそれは誤解で、ミイラの肌が黒いのは、単に処理の過程で塗られた樹脂が変色したものだった。

 「昔の人々は、ミイラに万能薬ビチュメンが塗られていると考え、ミイラに薬効があると信じました。科学的な分析が難しかった時代には、それがビチュメンではないと認識できなかったのです。こうしてミイラの薬効は、結果的に長く信じられることになりました」

 ミイラは医薬品として高く売れた。もちろん冷静に考えれば、ミイラは人間の遺体である。薬として飲んでも、傷口にすり込んでも、それで病気が治るはずがない。

 しかし欧州では長くその効能が信じられた。たとえばフランス国王フランソワ1世(1494~1547年)は、ミイラを砕いた粉を袋に入れ、常に救急薬として持ち歩いていたという。英国の科学者・哲学者のフランシス・ベーコン(1561~1626年)も、けがをした際には「ミイラに血を止める効果がある」と信じていた。

 イクラム氏によると、近年はミイラを解析する最新技術の向上もあり、多くのことが分かってきたという。

 ◇現代人と同じ病気も

 「生活環境が現代と異なる古代人の死因を特定することで、現代医学にも応用できるという考えが出てきました。私が調べたミイラで印象に残っているのは、前立腺がんにかかっていたプトレマイオス朝(紀元前305~同30年)時代のミイラです。食生活が今と違うのに、古代人も現代人と同じ病気になっています。それはなぜか。こうした研究も始まっています」

 近年の研究で、古代人もマラリアにかかっていたことが判明した。紀元前12世紀のラムセス5世のミイラからは天然痘の痕跡も見つかった。人類とウイルスとの闘いも、太古の昔から続いてきたのだ。

 日進月歩のミイラ研究だが、まだ分からないことも多い。「叫ぶミイラ」もその一例である。実はイクラム氏は、「苦しんで死んだ」姿が残ったというサリーム氏の説には懐疑的だ。

 「遺体を処理する人が、この姿で残そうとするでしょうか。私は疑問です」

 ミイラ化作業は数十日間かかるため、苦痛に満ちた女性の顔をきちんと整える時間も十分にあった。あえて悲惨な姿で後世に残すのはおかしい。それがイクラム氏の主張である。

 ではなぜ口は開いているのか。ミイラ化の処理で起きた単純なミスか。それとも、女性は本当に何かに苦しんで世を去ったのか。

 強烈な見た目のせいで、常に注目され続ける「叫ぶミイラ」。その叫びの理由は、永遠の謎である。【ロンドン支局長・篠田航一】