不気味、笑顔は習近平だけ…欧米露がいぬまに軍事基地建設の「秘密協定」か、経済崩壊の中国がアフリカに援助大盤振る舞い

AI要約

中国が経済低迷の中でアフリカとの協力を強化するために「2024年中国アフリカ協力フォーラム北京サミット」を開催した。

この取り組みは日本の影響を受けたもので、アフリカ開発を目指す中、中国が外交を重視している背景がある。

中国とアフリカの外交関係は、エネルギー獲得や国際社会での影響力確保など、さまざまな要因が絡んでいる。

不気味、笑顔は習近平だけ…欧米露がいぬまに軍事基地建設の「秘密協定」か、経済崩壊の中国がアフリカに援助大盤振る舞い

「腐っても鯛」(中国語なら「痩死的駱駝比馬大」)という言葉があるが、経済低迷が続く中国が先週、乾坤一擲(けんこんいってき)の外交を行った。

9月4日から6日まで、「2024年中国アフリカ協力フォーラム北京サミット」を開催。アフリカから53ヵ国の国家元首らを招いた。中国メディアは連日、特別枠を組んで、「世界で28億人の共同福祉が実現する」と、大々的に喧伝した。

このサミットが北京で開かれたのは4回目だが、発足した経緯は、実は日本と関係がある。いまから31年前の1993年、日本で冷戦崩壊後の世界戦略を見据えて、21世紀に成長が見込まれるアフリカを取り込もうという気運が生まれた。アフリカ諸国も日本を頼った。そこで細川護熙政権が東京で、アフリカ48ヵ国の代表たちを集めて、「アフリカ開発会議」(TICAD)を開いた。以後、5年毎に開いていて、来年8月に横浜で、第9回目が開かれる。

この成功を横目で見ていた中国は、毛沢東時代からの伝統である対アフリカ外交に、改めて本腰を入れ出した。奇しくも中国は、1993年からエネルギー輸入国になっており、アフリカのエネルギー獲得は重要だった。また、国連を舞台にしたアメリカや台湾との外交戦でも、最大勢力のアフリカ票がカギとなった。

そこで江沢民政権は、アフリカ連合(AU)が発足した翌年の2000年、「中国版TICAD」として、「中国アフリカ協力フォーラム北京サミット」を開催した。その3年後に発足した胡錦濤政権も、2006年に2回目の「中国アフリカ協力フォーラム北京サミット」を開催した。

私は、この2回目のサミットを取材した。アフリカ35ヵ国の国家元首が北京に集結し、北京の町が一時的にアフリカになったような盛況ぶりだった。中国は翌年に北京オリンピックを控え、経済も株価も絶好調。「你好,我好,大家都好」(あなたも良し、私も良し、誰もが良し)という言葉が流行し、中国人もアフリカ人も笑顔が絶えなかった。