《ブラジル》記者コラム=聖人の島で起きた無慈悲な惨劇=南国の楽園を地獄に変えた近代史

AI要約

アンシェタ島は豊かな自然環境を持ち、様々な野生動物が生息する楽園のような場所だったが、過去に多くの悲劇が起きた歴史を持つ。

1926年にブルガリア移民やガガウズ人が奴隷労働に苦しむ中、マンジョッカ・ブラーバの食中毒で多くの人が亡くなるという悲劇が起こった。

今日でもこの島を訪れる者たちは、歴史を忘れず、過去の悲劇から学び、平和を求める姿勢を持っている。

《ブラジル》記者コラム=聖人の島で起きた無慈悲な惨劇=南国の楽園を地獄に変えた近代史

 その日のアンシェタ島は真っ青な晴天に恵まれ、白い砂浜が広がり、静かな波が打ち寄せていた。次々に水着姿の観光客がボートから上陸し、南国のビーチそのものだった。

 海岸沿いの散策路を歩くと、遠くを飛ぶカモメやどう猛なハゲタカが目に付く。鬱蒼と生い茂る林をよく見ると、水着姿でピクニックをする観光客のお弁当を狙ってハナグマ(quatis)が下草にまぎれ、カピバラの子供のようにも見える後ろ足が細いアグーチ(Cutia)が散策路に出てきて、ミコ・レオン・ドウラドのような子ザル(saguis)などがすぐ横の木に張り付いていた。

 そんな野生動物が次々に出てくる様子からは、この島の自然環境の豊かさを痛感する。人間という生き物は、なぜこんな楽園のような場所を地獄に変えようと思うのか?――ここで起きた数々の悲しい歴史を思うと、あまりのコントラストに気が遠くなった。

 終戦直後の大半が無実だった日本移民172人への拷問や収監だけでなく、戦前のブルガリア移民への刑罰による151人の死亡、1952年の囚人大暴動鎮圧での100人以上の殺害などがここを舞台に起きたのがウソのようだ。

 17日、清和友の会(中沢宏一会長)のツアー「第3回ブラジル日系社会遺産遺跡巡り」でアンシェタ島にやってきた際、刑務所の廃墟とその背景に鬱蒼と茂る森を見ながらしみじみと人間の無慈悲さと愚かさ、そして、今も世界各地では戦争や紛争が起きている現実に悲しい気持ちが湧いてきた。

 1926年、ブルガリア移民とガガウズ人(主に東欧のモルドバ共和国に居住する民族)2千人が聖州地方部のコーヒー農園で働くために移住してきた。彼らはあまりの奴隷労働のひどさに農場主に抵抗して争う姿勢を見せた。それに怒った農場主らは警察に訴え、その結果、彼らはこの島に懲罰として強制収容されたという。

 この島は地味が薄く、マンジョッカ(キャッサバ芋)ぐらいしか収穫できず、しかも他に食べ物がない中でマンジョッカ・ブラーバ(有毒種)を知らずに食べ、入植わずか100日間に151人が亡くなるという悲劇が起きた。

 二度にわたるバルカン戦争で苦しんだ上、戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡という世界史上最悪の第1次世界大戦が起きて荒廃した欧州から、東欧移民たちははるか南米に平和を求めて移住し、もう一つの地獄を見た。

 この惨劇を忘れないように子孫が2014年9月に来て島で死亡した入植者リストが書かれた一覧表を、ビジターセンターに貼って行った。初期日本移民の移住地でも同様だったが、この一覧表の死亡時の年齢を見ると大半が5歳以下だ。

 森林財団職員によれば、この子孫たちは、清和友の会のツアーの2週間前にこの島を再び訪れ、7月25日に日本移民が政府謝罪を得たことを話題にしていた。「日本移民に続け」とばかりに謝罪請求が起きる可能性もありそうだ。