安倍氏銃撃事件、岸田内閣の下り坂の始まりだった(1)

AI要約

岸田文雄首相が自民党総裁選挙出馬を辞退し、その理由として政治信頼性の問題や統一教会の関与、経済政策の失敗などを挙げた。

岸田政権は統一教問題や政治資金スキャンダルにより支持率低迷し、政権運営に困難が生じた。内閣支持率は前高後低となっていた。

岸田政権は外交・安保政策で一定の成果を挙げたが、経済政策の混乱や政治スキャンダルにより国民の支持を得られなかった。

岸田文雄首相が9月下旬に行われる自民党総裁選挙に出馬しないと宣言した。岸田氏は記者会見で「旧統一教会をめぐる問題や派閥の政治資金パーティーをめぐる政治とカネの問題など、国民の政治不信を招く事態が相次いで生じた」とし「自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は、私が身を引くこと」と述べた。岸田氏は低い支持率にもかかわらず、衆議院解散の時期を天秤にかけながら何とか支持率を反騰させ、政権の延長を図ろうとする態勢だったため、岸田氏の突然の再執権放棄宣言はやや意外だった。

岸田氏が不出馬を決断した決定的なきっかけは昨年末から明るみに出た自民党の「秘密資金スキャンダル」だ。自民党の安倍派、茂木派など主要派閥が政治資金を集める過程で所属議員が裏金を受けたという疑惑が検察の捜査で一つずつ確認され、国民の怒りが爆発した。岸田派も会計責任者が立件された。内閣支持率は急転直下した。岸田氏は金権政治の温床と見なされた派閥を自ら解体する処方に踏み切り、麻生派を除いた自民党のすべての派閥は相次いで派閥解体を宣言した。また政治資金規正法を改正するなど政治改革に着手したが、離れた民心は戻ってこなかった。

◆3年間の岸田内閣支持率「前高後低」

民心離反を招いたもう一つの事件は統一教との癒着だ。2022年7月の安倍晋三元首相銃撃事件は結果的に岸田氏には下り坂の序幕となった。狙撃犯は「母が統一教に全財産を献納して家族が崩壊した」と犯行の理由を説明した。これをきっかけに統一教と自民党議員の選挙とカネを通した癒着関係が次々と明らかになり、自民党は公敵になった。岸田政権は統一教解散命令という処方を下したが、背を向けた民心を引き戻すには力不足だった。

また、岸田氏が再任をあきらめることになった背景は社会・経済政策の失敗にある。岸田氏は就任後「新しい資本主義」を掲げ、いわゆる「成長と分配の好循環」実現を公約したが、政策の一貫性を喪失して混乱を繰り返した結果、その成果はみすぼらしいものとなった。物価上昇は41年ぶりの最大幅となり、平均実質賃金はむしろ後退した。少子化対策として事実上の増税を進めたが抵抗にぶつかり、日本円は急落した。国民登録制「マイナンバー制度」導入はトラブルが続いて激しい非難を受けた。岸田政府の社会・経済政策に対する日本国民の評価は冷酷だった。

議院内閣制を採択している日本政治で内閣の支持率は政権の去就に決定的な役割をする。過去3年間の岸田内閣の支持率を一言で評価すると「前高後低」だ。2021年10月の発足直後の内閣支持率は53%で、1年間は50%台を維持した。統一教との癒着が明らかになった2022年秋から支持率は30%台に落ちた。2023年に入って支持率は40%を回復した。しかし自民党の裏金問題で年末からまた支持率は20%台に下落し、その後、低空飛行が続いた。一時は支持率が18%まで下落した。一般的に日本では内閣支持率が20%台に落ちれば政権の危険信号と見なされる。自民党支持率と内閣支持率の合計が50%以下に落ちれば政権求心力が弱まって崩壊につながるという、いわゆる「青木(小渕内閣で官房長官を務めた青木幹雄自民党議員)の法則」でみても、岸田内閣は昨年末から危険水位を行き来していた。

振り返ると、岸田氏は2021年9月の自民党総裁選挙で苦労して当選した。1次投票では国民に人気があり党員の高い支持を受ける麻生太郎氏を1票差で抑えて1位となり、1、2位が競う決選投票で主要派閥領袖の支持を得ながら総裁に当選し、首相になった。首相就任の4週後にあった衆議院選挙で自民党は絶対安定多数の261議席を獲得し、国民の信任を受けて安定的な政権運営が保障された。2022年7月の参議院選挙でも自民党は勝利した。安倍氏の政治的遺産を担うという宿命が付与されたが、岸田内閣の支持率は50%台を維持した。しかし統一教との癒着関係が次々へ事実と確認され、支持率は30%台に落ちた。

2023年に入って岸田内閣は支持率をまた40%台に上げ、政局の主導権を回復した。支持率が反転して上昇曲線に乗ったきっかけは外交・安全保障分野でのリーダーシップ発揮だった。岸田政権は執権2年目から外交・安保政策領域で足跡を残した。3年間の岸田内閣で最も目を引く分野は防衛政策と外交政策といえる。もちろんこうした評価は論者によって異なるが、日本政治・外交史の脈絡で見るとそうだ。

岸田政権は2022年末、戦後一貫して守ってきた専守防衛原則と消極的安全保障路線から抜け出し、積極的安全保障に変貌する大きな一歩を踏み出した。いわば日本の安全保障政策の転換だ。戦後「国内総生産(GDP)の1%未満」原則を守ってきた防衛費支出を5年間に倍に増やす一方、「敵基地攻撃能力」を保有するというのがその核心だ。宮沢首相以来30年ぶりに政権を握ったハト派「宏池会」の領袖である岸田氏が自ら、小沢一郎氏がかつて主張した「(軍事的)普通の国」に一歩近づいたのは一種のアイロニーといえる。