「南が早く攻めて来てほしいと願った」 2度脱北に成功の支援団体代表、市民の苦しみ語る

AI要約

脱北者支援をする李河娜(イ・ハナ)さんの壮絶な体験と使命について

苦しい状況下で北朝鮮での生活を送る人々のリアルな姿を描く

北朝鮮への不信感と金体制崩壊への願望が物語に影響を与えた

「南が早く攻めて来てほしいと願った」 2度脱北に成功の支援団体代表、市民の苦しみ語る

韓国で脱北者の支援を手掛ける女性、李河娜(イ・ハナ)さん(60)が7月に来日し、産経新聞の取材に応じた。李さんは一度中国に脱出したが、子供を置きざりにせざるを得なかったことを悔いて北朝鮮に戻り拘束された。その後、韓国に逃れた。「2度の脱北」を果たした経験を踏まえ、「脱北者には体験を伝える使命がある」と北朝鮮の劣悪な人権状況を訴えた。

■母とひそかに願った「金体制崩壊」

李さんは北朝鮮の首都・平壌で生まれ、10代のとき、母が韓国出身という理由で咸鏡北道(ハムギョンブクト)の炭鉱の町に追放された。

町には韓国出身者や韓国軍の捕虜のほか、北朝鮮への移住を促進した「帰還事業」に応じた在日朝鮮人らが集められていた。いずれの人々も「敵対階層」と差別的扱いを受けていたという。

町では日本統治下で建設され、老朽化した炭鉱施設や鉄道、道路が使われており、「日本がもう一度入ってきて直してくれないだろうか」と嘆く住民もいた。軍人が通行人のカバンの中の食料や物を取り上げることもたびたびで、被害に遭った老人が「日帝(旧日本軍)でもこんなことはしなかった」と怒っていた。

李さんは、食糧不足で多数の餓死者を出した「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代の困窮を鮮明に覚えている。母や知人と密かに「金体制が早く終わらなければ」「南朝鮮(韓国)が早く攻めて来ればいい」と口にする日々で、ほかの住民にも体制への不信がうかがえたという。

■北朝鮮に戻り拘束…南北首脳会談が転機に

99年、李さんは警察官の親族を持つ夫には秘密のまま、母と9歳の長女、3歳の次女を連れての脱北を計画した。ところが、脱北を手助けするブローカーに小さな子供は足手まといになると拒否され、やむなく母と長女だけを連れて中国へ渡った。

2カ月ほど中国で潜伏生活を送る間、次女への罪悪感にさいなまれた。「子供にとっては母親が自分を捨てたと思うより、助けに来て死んだと思う方がましだ」。99年12月の深夜、中朝国境の川、豆満江にかかる橋を渡って北朝鮮に戻って次女のもとを目指したが、軍に捕らえられた。

送られた勾留施設内では伝染病や感染症が蔓延(まんえん)し、李さんもパラチフスに感染。トウモロコシをすりつぶした食事を与えられたが、高熱によってろくに食べられず、体重は15キロ落ちた。同じ施設にいた高齢者は下痢が止まらず次々と命を落としていったという。