《ブラジル》ブラジルで活躍する日系企業の今《34》=東西医学の良いとこどりする長屋クリニック

AI要約

長屋クリニックの長屋充良院長がブラジルでカイロプラクティックのパイオニアとして活躍する様子について語った。アットホームな雰囲気の中で東洋・西洋医学を融合させたサービスを提供し、独自のミッションを果たしている。

ブラジルでのキャリアの始まりや日本との関わり、クリニック開業までの経緯を詳しく語り、現在のクリニックの地位向上と啓蒙活動に取り組んでいる様子がうかがえる。

カイロプラクティックの認知度向上や法制化への取り組み、カイロプラクターの育成など、長屋充良院長のビジョンや貢献が伝えられている。

《ブラジル》ブラジルで活躍する日系企業の今《34》=東西医学の良いとこどりする長屋クリニック

 現地で活躍する日系企業の今を伝える本連載の第34回目は、長屋クリニックの長屋充良院長(65歳、岐阜県出身)に話を聞いた。ブラジルでカイロプラクティックのパイオニアとして同クリニックを開院して今年で39年。来院される人々が安らぎを感じられるアットホームな雰囲気の中で、東洋・西洋医学の長所を最大限に活用した整形外科とリハビリテーション、筋骨格系の問題などで他にない唯一無二のサービスを提供する。当シリーズは、今回でいったん終了する。

 長屋さんは「ブラジル初のカイロプラクティッククリニックのオープンのため、半年だけ出張予定だったのが縁あって今日に至ります」と来伯当初を振り返る。日本で高校卒業後、柔道整復師の学校に入り資格を取得、その後、東京のカイロプラクティックの専門学校と付属クリニックに入局して働いていた。

 このクリニックの院長が、ブラジル日本商工会議所の第4代会頭、故・広川郁三氏と懇意になり、サンパウロで日伯企業家による共同事業としてブラジル初のカイロプラクティッククリニックを開設することになった。広川氏は名物会頭として知られ、日本の民間企業のブラジルへの投資が急増した1960年代後半から70年代前半に、日本からの進出企業を拡大させ日伯関係の緊密度を増した人物であった。

 長屋さんは1982年に東京・日本橋にあった塩川カイロプラクティッククリニックのスタッフとして6カ月間の契約でサンパウロに出向した。しかし、移住予定だった院長が病気で来られなくなり、クリニックは閉院された。

 当初は半年の出張という形で初めての海外ということもあり旅行気分だったが、ブラジル人の人懐っこく人生を楽しむために生きるおおらかな国民性や、ブラジルに基盤を持った日系社会の存在にも大きな可能性を感じた。そして、今日までクリニックを支えてきた看護士および理学療法士の日系2世の恵美子エリザベッチさんと結婚したことで、ブラジルに永住することを決意し、1985年に独立開業した。日本から機材を導入し、レントゲン技師や看護師とともに当時最先端だった米国のようなモダンなクリニックの先駆けとなった。

 「当初はカイロプラクティックの認知度が低く、一般の慰安治療の様に思われていたので、自然の摂理に適った総合健康管理の一つである事を広める必要性を感じた」と、1992年にはカイロプラクター4人でブラジルカイロプラクティック協会を設立。

 その地位向上と啓蒙に努め、アニェンビ・モルンビ大学(サンパウロ市)とフェエヴァレ大学(リオ・グランデ・ド・スル州ノボ・ハンブルゴ)でカイロプラクティック学部を開設し、これまで1千人を超えるカイロプラクターを育成し、現在は法制化を目指している。