中日両国の囲碁文化の違いとは

AI要約

囲碁は中国の伝統文化を代表するものとして世界中に広がり、人びとに愛されている。

囲碁の歴史、日本への伝播、擂台戦、中国と日本の「棋道」の違い、西洋社会での影響などを通じて、囲碁の普及と影響について紹介されている。

囲碁はイデオロギーに左右されないゲームであり、平等と和を重視しているため、世界中で愛され、人類共通の精神的財産となっている。

中日両国の囲碁文化の違いとは

【CNS】現在、囲碁は中国の伝統文化を代表するものとして世界中に広がり、多くの人びとに愛されている。中国の囲碁文化が影響を与えた国々や、なぜ囲碁が人類共通の精神的財産となり得るのかについて、中国初の囲碁博士である何雲波(He Yubo)氏に伺った。

 何雲波氏によれば、囲碁は約4000年の歴史を持ち、初めに周辺の国や地域に広まり、その後、世界中に伝わった。古代には、囲碁の伝播には大きく二つのルートがあった。一つは東に向かい、朝鮮半島を経て日本に伝わるルートで、もう一つは西に向かい、シルクロードを通じて中央アジアや南アジアの国々に広まったルートだ。

 この囲碁の交流は一方的なものではなく、各国や地域は囲碁を受け入れるだけでなく、自国での改良も行った。特に日本では囲碁が広く普及し、伝統的な囲碁から現代囲碁への進化が進んだ。20世紀初頭には、日本の競技レベルは中国を上回るようになり、中国もこの影響を受けて現代化を進めた。このように、文化の伝播、影響、受容、そしてフィードバックが相互に作用していたのだ。

 1984年には中日囲碁擂台戦(日中スーパー囲碁)が始まり、中日間の囲碁対抗戦が幕を開けた。この擂台戦は11回開催され、中国の棋士である聶衛平(Nie Weiping)氏が数々の伝説的な試合を行った。これにより、中国国内で囲碁への関心が急激に高まり、囲碁が中国で本格的に普及する契機となった。

 歴史を通じて、中日両国の「棋道」にはどのような違いがあるのか。日本では江戸時代に「御城碁」制度が確立され、棋士たちの競争が非常に激しくなった。日本の棋道には囲碁の「雅」な一面も見られるが、武士道精神が貫かれている。例えば、日本囲碁史上の有名な事件「吐血の局」では、赤星因徹(Akaboshi Intetsu)が血を吐いて碁盤の前に倒れた。このように、日本の棋士たちは競技の勝敗に強くこだわった。一方、同時期の中国では、囲碁はより芸術的な要素が強調されていた。

 西洋社会では、囲碁は古くて深遠な東洋のゲームとして、多くのエリート層の注目を集めた。著名な物理学者のアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)や、ノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュ(John Nash)氏、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ(Bill Gates)氏などが囲碁に興味を持っており、ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)氏もその著書『On China』で囲碁について触れている。西洋の学者の中には、チェスが戦術的なゲームであるのに対し、囲碁は戦略的なゲームであり、その戦略性が東洋の戦略思想と密接に関連していると考える者もいる。

 囲碁はイデオロギーに左右されないゲームであるため、世界中の人びとに受け入れられやすい側面がある。しかし、実際には囲碁は中国の伝統文化と現代の精神を反映している。囲碁は競技でありながら、平等と和を重視し、対局は礼儀正しく始まり、礼儀正しく終わる。このため、囲碁は国際社会で愛され、人類共通の精神的財産となっている。(c)CNS/JCM/AFPBB News

※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。