なぜ「民族間の殺戮」は繰り返されるのか? 宗教や憎悪だけではないその要因をイスラエル元外相が考察

AI要約

ウクライナやガザの戦争で多くの人が亡くなっている現状に胸を痛めつつ、なぜ世界は同じ過ちを繰り返すのか。歴史研究者がオスマン帝国の民族対立を振り返り、殺戮が起きるメカニズムとその防止策を模索する。

ジェノサイドや民族浄化、アイデンティティ政治などの破壊的要素が人類の過去を脅かす中、社会的、経済的な要因が見過ごされることも。歴史を学び、同じ危機を繰り返さないよう努める必要がある。

オスマン帝国の民族対立は19世紀半ばから蓄積され、経済的不平等も深刻な状況を招いた。分断は血なまず深まり、最終的に殺戮へと発展する悲劇が繰り広げられた。

なぜ「民族間の殺戮」は繰り返されるのか? 宗教や憎悪だけではないその要因をイスラエル元外相が考察

ウクライナやガザの戦争で、多くの人が亡くなっているニュースが日々報じられている。そうした状況に胸を痛めながらも、なぜ世界は同じ過ちを繰り返してしまうのか。

イスラエルの元外務大臣で歴史研究者でもあったシュロモ・ベンアミが、19世紀にオスマン帝国で起きた民族対立の歴史を紐解きながら殺戮が起きるメカニズムとその防止策を探った。

ジェノサイドや民族浄化、部族主義やアイデンティティの政治利用──これらの破壊的な影響によって、人類の歴史は終焉を迎えるのではないかと思えることがある。

この種のむき出しの野蛮な力は、ときに社会的、経済的な緊張に煽られて国家や民族を破滅的な状況に追い込んできた。こうした危機を繰り返さないために、あるいはそこから回復するために、歴史から何を学べるのだろうか? 

為政者が、盤石な支配体制を築くためにいまも昔も注力しているのは、異なる民族集団をどのようにして共存させるかだ。

第一次世界大戦後、オスマン帝国では相次いでジェノサイドが起きた。原因は帝国の強権的な支配ではなく、むしろそれが崩壊したことだった。これにより、キリスト教徒やアッシリア人、ギリシャ人など膨大な数の市民の命が奪われた。

たとえばオスマン帝国で最も国際的な都市だったスミルナ(現イズミル)は、トルコの民族主義者によって破壊された。英作家ジャイルズ・ミルトンは自著の『失われた楽園 スミルナ1922』(未邦訳)で、スミルナ市民10万人以上が虐殺され、数百万人が家を失った場面を暗く、鮮やかな筆致で書いている。この近代史でも有数の大惨事は、民族的・宗教的な対立によって起きたと言われている。

だが、オックスフォード大学の歴史学者ユージン・ローガンは新著『ダマスカスの事件 1860年の虐殺とオスマン旧世界の滅亡』(未邦訳)で、虐殺が起きる原因はもっと複雑であることを明らかにする。「民族的、宗教的な緊張に重点を置くあまり、その根底にある社会的、経済的な要因が往々にして見落とされている」と彼は強調する。

オスマン帝国が崩壊に向かっていた19世紀半ば、現在のレバノンやシリア、ヨルダンなどを含む大シリア地方では、少数民族の不満が高まっていた。ダマスカスから100キロ近く離れたレバノン山地ではキリスト教マロン派が、イスラム教ドゥルーズ派より、社会的にも経済的にも恵まれた状況にあった。シリアでもイスラム教徒(ムスリム)よりキリスト教徒が優遇されていた。

1842年にレバノン山地の領地が分割され、キリスト教徒とムスリムがそれぞれの土地を統治をするようになると、両者の分断はさらに深まった。

そしてそれは、血で血を洗う殺戮へと発展する。(続く)

争い合った民族が和解し、共生することは可能なのか。後編ではオスマン帝国で起きた事例をもとに、虐殺を激化させる要因や紛争後の社会を安定させるための糸口を考察する。